昼前から谷中を歩き始め、日暮里駅からまず谷中霊園へ向かいました。駅から大きな通りを進んでいくと、まもなく霊園の入口にたどり着きます。谷中というと、寺町の雰囲気や下町らしい路地の印象が強い場所ですが、谷中霊園に入ると、それとはまた違った静けさが広がっていました。都心にありながら敷地はとても広く、墓地というよりも、歴史を抱えた大きな公園を歩いているような感覚になります。谷中霊園は明治7年に開設された都立霊園で、寛永寺や天王寺の墓地が入り組む谷中の寺町の中に、一団の墓域を形づくっています。
園内をしばらく歩いていると、天王寺五重塔跡がありました。現在は塔そのものは残っていませんが、かつてこの場所には谷中の象徴ともいえる五重塔が建っていました。この塔は幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとしても知られています。今は石の跡が残るだけですが、何もないからこそ、かえってそこに大きな塔がそびえていた時代を想像させられます。谷中の町並みや寺院、墓地の静けさの中に、文学や江戸・明治の記憶が重なっていることを感じました。
谷中霊園には、政治家、画家、文学者、俳優など、さまざまな分野で名を残した人々が眠っています。歩いていると、ところどころに説明のパネルが設置されており、ただ墓所を通り過ぎるだけでなく、一人ひとりの人物の足跡に触れながら歩くことができました。谷中という土地は、上野にも近く、江戸から明治へ、さらに近代日本へと続く文化や政治の記憶が濃く残る場所です。墓地でありながら、歴史の断片を拾い集めるように歩けるのが印象的でした。
特に目を引いたのが、葵の紋がついた門のある徳川慶喜公の墓所です。徳川慶喜は江戸幕府最後の将軍であり、大政奉還によって江戸時代の終わりを象徴する人物になりました。その墓は谷中墓地と呼ばれる区域の寛永寺墓地にあり、円墳状の墓として、慶喜とその妻の墓が並んでいます。仏式ではなく神式の葬儀を望んだことから、一般皇族に似た円墳の形になったとされています。
実際に見ると、徳川将軍家と聞いて想像するような巨大で華やかな墓所というより、静かで独特の存在感を持つ空間でした。ドーム状のお墓が二つ並び、その奥や横にも同じ形のお墓がいくつか並んでいる様子は、江戸幕府の終焉と、その後も続いた徳川家の時間を静かに伝えているようでした。江戸を終わらせた人物が、上野や谷中という江戸の記憶が濃い土地に眠っていることにも、不思議な重みを感じます。
| 美賀子夫人の墓 |
谷中霊園を歩いていると、観光地としての華やかさよりも、時間の層の厚さが印象に残ります。天王寺五重塔跡には失われた建築と文学の記憶があり、徳川慶喜公の墓所には江戸幕府の終幕と明治以降の歴史が刻まれています。日暮里駅からほど近い場所にありながら、そこには江戸、明治、大正、昭和へと続く東京の歴史が静かに横たわっていました。
一通り園内を歩いた後、次の目的地である浄名院へ向かいました。谷中霊園は、ただ有名人のお墓を訪ねる場所ではなく、東京という都市がどのように時代を重ねてきたのかを感じられる場所でした。にぎやかな谷中散策のはじまりに、この静かな霊園を歩いたことで、その後に見る町並みも少し違って見えるような気がしました。
旅程
日暮里駅
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カヤバ珈琲
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一乗寺
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
根津駅
関連イベント
- 天王寺
- 寛永寺
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