スキップしてメイン コンテンツに移動

春日神社:春日山の麓に広がる上越の歴史風景

新潟県上越市の春日神社に行きました。きっかけは、「上越新幹線の“上越”という名前はよく知っているのに、上越そのものには行ったことがないな」とふと思ったことでした。せっかくなら、この土地ならではの歴史に触れたいと思い、上杉謙信ゆかりの地として知られる上越市を訪ねることにしました。主な目的は春日山城跡と林泉寺でしたが、その途中で見つけた春日神社にも立ち寄ることにしました。

春日神社は、春日山のふもとにたたずむ古社です。現地の案内によると、創建は千年以上前にさかのぼるとのことで、この土地で長いあいだ信仰を集めてきたことが分かります。春日という名からは奈良の春日大社を思い浮かべますが、古代から中世にかけて春日信仰は各地へ広がっていき、地方の有力な土地にも春日社が築かれました。上越の春日神社も、そうした長い信仰の流れの中で受け継がれてきた存在なのだと思うと、参道に立っただけでもこの場所の歴史の厚みが感じられました。

まず目に入ったのは、参道に立つ鮮やかな鳥居でした。一般に神社の鳥居というと朱色を思い浮かべますが、ここで見た鳥居は朱というよりも、もっと赤に近い濃い色合いに感じられました。その力強い色が、その先の木々の緑とよく対照をなしていて、とても印象に残りました。脇にあった説明パネルを読んで、この神社が長い歴史を持つことを知ると、単に美しいだけではなく、時代を超えて人々が守り続けてきた入口なのだと感じられました。

参道をさらに進むと、今度は石造の鳥居が現れます。その先の景色がまた見事で、両脇には非常に背の高い木々が立ち並び、まるで別世界へ入っていくような雰囲気がありました。普通に「森」と表現するよりも、巨大なジャングルを切り開いて道を通したような、圧倒されるような印象のほうが近かったかもしれません。上越の秋の空気の中で、そのまっすぐ伸びる木々を見上げていると、古社というのは建物だけで成り立つのではなく、周囲の自然も含めて信仰の場になっているのだと実感しました。長い年月のあいだ、この木々の間をどれだけ多くの人が歩き、祈りを捧げてきたのだろうと想像がふくらみます。

その先には石の階段があり、上った先に拝殿が見えてきました。

拝殿は非常にきれいで、新しく整えられているように見えました。実際にいつの建物なのかは分かりませんでしたが、古社でありながら今も大切に手入れされ、地域の信仰の場として生き続けていることが伝わってきました。歴史ある神社というと、古びた姿そのものに価値を見いだしがちですが、こうして今も人の手が入り、清潔に保たれている姿にもまた、地域の人々の敬意が表れているように思います。長い歴史を持ちながら、過去の遺物ではなく、現在の暮らしの中にきちんと位置づいている。そんな神社のあり方が感じられました。

参拝を終えたあと、次の目的地である林泉寺へ向かいました。しかし、春日山城跡や林泉寺といった名高い史跡に向かう途中で、この春日神社に立ち寄れたことは、とてもよい寄り道だったと思います。大きな史跡や有名な寺院は、それだけで歴史の中心のように見えますが、こうした神社にもまた、土地に根ざした時間の積み重ねがあります。むしろ、地域の人々に長く寄り添ってきた場所だからこそ、その土地の空気や歴史の深さをより自然に感じられるのかもしれません。

上越市は、上杉謙信や春日山城のイメージが強い土地ですが、その周辺にはこうした静かな歴史の場が点在しています。春日神社は、旅の主役というよりは、名所へ向かう途中でふと出会う存在かもしれません。けれども、鮮やかな鳥居、深い木立、石段の先にある整えられた拝殿と、実際に歩いてみると強く印象に残る神社でした。上越の歴史をたどる旅の中で、土地の古さと信仰の連続性をしっかり感じさせてくれる場所だったと思います。

旅程

東京

↓(新幹線/えちごトキめき鉄道)

春日山駅

↓(徒歩)

春日神社

↓(徒歩)

林泉寺

↓(徒歩)

春日山神社

↓(徒歩)

春日山城跡

↓(徒歩)

上越市埋蔵文化財センター

↓(徒歩)

春日山駅

↓(えちごトキめき鉄道)

高田駅

↓(徒歩)

平出修の旧居

↓(徒歩)

旧師団長官舎

↓(徒歩)

高田駅

↓(新幹線/えちごトキめき鉄道)

東京

周辺のスポット

地域の名物

  • 小千谷縮

リンク

コメント

このブログの人気の投稿

斎宮歴史博物館:柵列の間をくぐり抜け、古代国家の祈りに触れる、祈りの都が農村へ変わるまで

斎宮跡を歩いたあと、その流れのまま斎宮歴史博物館へ向かいました。駅前から感じていた木造風の意匠や、整えられた景観の延長線上に、この博物館の落ち着いた佇まいがあり、ここでようやく「斎宮」という言葉が指す世界の輪郭を、資料と展示で掴めそうだと思いました。斎宮は史跡としては広々としていて、当時の建物がそのまま立ち上がっているわけではありません。その分、見学者の頭の中で想像を補う余地が大きいのですが、博物館はその空白を、根拠と手触りのある情報で丁寧に埋めてくれる場所でした。 ちょうど特別展「天地(あめつち)の神を祈りて-伊勢神宮、そして斎宮-」が開催されており、展示室に入ると、ここが古代から信仰の重要な舞台だったことを、古墳時代の出土品などの実物資料を通して実感できました。伊勢神宮が成立していく過程、そこに斎宮・斎王という制度が結びついていく必然性が、単なる言葉の説明ではなく「この土地から出てきたもの」と一緒に語られるので、歴史がふわっとした神話のように遠ざからず、現実の地層の上に積み上がった出来事として迫ってきます。斎宮跡を先に見ていたからこそ、「あの広い区画が、ただの空き地ではなく、国家的な祈りを担う装置だったのだ」という感覚が、じわじわと身体に染みてきました。 特別展のあとに常設展を見ていくと、展示室が二つに分かれている構成が分かりやすく、斎宮という存在を別々の角度から立体的に捉えられるようになっていました。展示室1のテーマは「文字からわかる斎宮」です。延喜式のレプリカが示す制度としての斎宮、そして源氏物語、栄華物語、大和物語といった文学作品の中に現れる斎宮や斎王の姿が並ぶと、斎王がただの宗教的存在ではなく、宮廷文化の文脈の中でも強く意識された存在だったことが見えてきます。文学の中の斎王は、歴史の事実だけでは捉えきれない感情や視線をまとっていて、制度の説明とは違う温度で当時の人々の心情を想像させます。 さらに、文字が書かれた土器や印といった資料も展示されていて、「斎宮は祈りの場」という一言では片づかない、運用のための事務や情報のやりとりが確かにあったことが伝わってきました。展示の中には、武官や男女の子どもの等身大人形と当時の衣装があり、そこに復元された葱華輦(そうかれん)や斎王の居室の再現も続きます。文字資料を中心とする展示室1なのに、こうした視覚的・空間的な復元がし...

新島旧邸:京都の町なかで思いがけず出会った特別公開

京都文化博物館に行くために京都市に来たこの日、私は開館までの時間を使って京都御苑を歩いていました。ところが、京都御苑は思っていた以上に見どころが多く、閑院宮邸跡や京都御所、桂宮邸跡などを見て回っているうちに、気づけばかなりの時間が過ぎていました。少し急ぎ足で京都文化博物館へ向かっていた途中、ふと目に入ったのが「新島旧邸 特別公開中」という文字でした。その瞬間、「あの新島だろうか」と思って案内を見ると、やはり同志社の創立者として知られる新島襄の旧邸でした。まったく予定していなかった立ち寄りでしたが、こうした思いがけない出会いも旅の大きな魅力です。入り口のスタッフの方に尋ねると、毎週土曜日は特別公開の日で、建物の内部も見学できるとのことでした。ここまで予定以上に時間を使ってしまっていましたが、せっかくの機会なので見学することにしました。 新島襄は、明治時代の日本において近代的な教育の実現を目指した人物として知られています。海外で学び、キリスト教や欧米の教育思想に触れた新島襄は、帰国後に京都で同志社英学校を創立し、日本の新しい教育のあり方を切り開こうとしました。その新島襄が暮らした旧邸が、京都の町なかに今も残されていること自体、とても貴重なことだと思います。しかも、この建物は単なる住まいではなく、新しい時代の思想や暮らし方を映し出す場でもあったのでしょう。明治という、和と洋、伝統と近代が激しく交差した時代の空気を、建物そのものから感じ取ることができるように思えました。 最初に見た日本風の附属屋は、落ち着いた雰囲気の建物でした。展示品もありましたが、同志社社史資料センター所蔵資料のレプリカが中心だったようで、いつか訪れてみたいと思っていた資料センターの予習のような時間にもなりました。この附属屋は新島襄の両親のために建てられたものだそうで、そのことを知ると建物の見え方も変わってきます。新しい時代の教育を志し、西洋の知識を積極的に取り入れた新島襄ですが、その一方で家族を大切にし、日本的な暮らしの空間もきちんと用意していたことが伝わってきます。近代化というと、何かを一方的に捨てて新しいものに入れ替えるような印象を持ちがちですが、実際にはこうして古いものと新しいものを併せ持ちながら進んでいったのだろうと感じました。 続いて見学した母屋は洋風の造りで、附属屋とはまた違った魅力がありま...

寺田倉庫G1ビル:NAKED meets ガウディ展:“作品鑑賞”ではなく“思考体験”としてのガウディ

東京都品川区の寺田倉庫G1ビルで開催された「NAKED meets ガウディ展」に行きました。2月11日の午後に一度訪れたときは、想像以上の人気で入場が3時間待ちになってしまい、その日は予定を変更して引き返しました。せっかくなので仕切り直し、別の日の朝10時少し前に再訪すると、この時間でもすでに人が多く、入口を抜けた先のエレベーター前でしばらく待つことになりました。展覧会が始まる前から熱量が伝わってきて、「ガウディは“作品”というより“体験”として見られているのかもしれない」と思いながら列に並びました。 会場に入ると、まずガウディの生涯が簡潔に紹介されます。19世紀後半から20世紀初頭のバルセロナは、産業の発展とともに都市が急速に膨張し、同時にカタルーニャ独自の文化が芸術へと結晶していった時代でした。いわゆるモデルニスモ(カタルーニャ・モダニズム)の潮流の中で、ガウディは歴史主義や装飾の流行に回収されない、自然の秩序そのものを建築へ翻訳するような道を選びます。その入口として、この展覧会は「自然から得た造形美」を前面に出していました。 印象的だったのは、自然物と建築部位を並べて見せる導入です。「小麦」とサグラダ・ファミリア上部の塔、「にんにく」とカサ・バトリョの換気塔、「糸杉の円錐」とベリュスグアルドの塔、「キノコ」とグエル公園の煙突、「樹の柱」とサグラダ・ファミリア内部の柱、「ハチの巣」とカサ・カルベットの覗き穴といった対応関係が、説明とレプリカ展示で示されていました。ここで面白いのは、自然を“模倣”するというより、自然の形が生まれる理屈や強度のあり方を“借りている”ように感じられる点です。曲線は気まぐれな装飾ではなく、重さを受け流し、光を導き、空間を育てるための構造そのものなのだと、最初のコーナーだけでも伝わってきました。 次のコーナーでは、バルセロナ来訪後のガウディの作品が、少し変わった見せ方で並びます。壁面にエル・カプリチョ、カサ・ビセンス、グエル邸、アストルガ司教館、カサ・ボティネスなどのファサードが立体的に配置され、そこにプロジェクションマッピングのような映像が流れていました。建物を単体で鑑賞するというより、街の中で呼吸し、時間とともに表情を変える“都市の一部”として体感させる構成で、バルセロナの通りを歩きながら次々に建築に出会う感覚がうまく再現されている...