スキップしてメイン コンテンツに移動

放光寺:春の市に導かれてたどる甲斐源氏の記憶

山梨県甲州市の放光寺を訪れました。この日は武田信玄ゆかりの地を巡るために山梨へ来ており、まず塩山の恵林寺を参拝した後、同じ塩山エリアにある放光寺へ向かいました。恵林寺が武田氏の歴史を強く感じさせる場所だとすれば、放光寺はさらに時代をさかのぼり、甲斐源氏の足跡に触れられる場所です。

放光寺へ向かう途中、西藤木の水車がありました。説明を見ると、現在は放光寺が管理している水車のようでした。この水車は江戸時代末期に創設されたと伝わり、地域の共同水車として使われた後、昭和43年から放光寺が管理するようになったとされています。寺へ向かう道中に、寺院だけでなく地域の暮らしを伝える民俗資料が残っているのは印象的でした。

放光寺に近づくと、参道には多くの露店が並んでいました。食べ歩きできるような食べ物も少しありましたが、それ以上に服や雑貨などを扱う店が多く、観光地の門前市というより、地域の人たちが日常的に楽しみにしている市のように見えました。訪れたのは午前10時ごろで、まだ朝の早い時間でしたが、すでに人出があり、参道全体に活気がありました。後で調べると、放光寺の参道では毎月第3日曜日に参道市が開かれているとのことで、ちょうどその日に重なっていたようです。

露店のにぎわいを抜けて仁王門に近づくと、雰囲気は一気に古寺らしいものに変わりました。仁王門そのものも非常に古そうに見え、両脇に立つ金剛力士像には力強さがありました。この木造金剛力士像は国の重要文化財に指定されており、放光寺が多くの文化財を伝える寺であることを入口から感じさせます。甲州市の観光案内でも、放光寺は木造大日如来坐像、木造不動明王立像、木造天弓愛染明王坐像、木造金剛力士像などを所蔵する、800年を超える歴史を持つ寺として紹介されています。

放光寺は、1184年に甲斐源氏の安田義定(やすだ よしさだ)が創建したとされる寺です。安田義定は源平合戦で活躍した武将で、甲斐源氏の中でも重要な人物の一人でした。放光寺は安田一門の菩提寺としての性格を持ち、のちには武田信玄の時代に武田家の祈願所にもなったと伝えられています。武田信玄ゆかりの地を巡る旅の中で訪れる場所としては、戦国時代だけでなく、さらにその前の甲斐の武士の歴史へ視野を広げてくれる寺でした。

境内はとてもきれいに清掃されており、参道市のにぎわいとは対照的に、寺の内側には落ち着いた空気がありました。

本堂に入ると、多くの仏像が安置されており、安田義定の像も見ることができました。放光寺には、義定が京都から持ち帰ったと伝えられる仏像もあり、木造大日如来坐像、木造不動明王立像、木造愛染明王坐像はいずれも平安時代末期の作として国の重要文化財に指定されています。

境内には安田義定の墓所もありました。武田信玄を目的に山梨へ来た旅でしたが、ここでは武田氏よりも前の時代、甲斐源氏の存在感が強く感じられました。義定は鎌倉幕府創建期に大きな力を持った人物でしたが、最終的には源頼朝との関係の中で滅ぼされていきます。その歴史を知ると、静かな墓所の前に立ったとき、華やかな戦功だけではない中世武士の厳しさも感じられました。

放光寺は、武田信玄ゆかりの寺であると同時に、安田義定と甲斐源氏の記憶を今に伝える寺でもありました。参道市のにぎわい、西藤木の水車、古い仁王門、重要文化財の仏像、そして安田義定の墓所が一つの流れの中にあり、地域の歴史と暮らしが重なって見える場所でした。一通り本堂と境内を見た後、次は武田神社へ向かうため、塩山駅へ戻りました。春先の明るい空気の中で、山梨の歴史の奥行きを感じる参拝になりました。

旅程

東京

↓(JR特急あずさ)

塩山駅

↓(徒歩)

恵林寺

↓(徒歩)

西藤木の水車

↓(徒歩)

放光寺

↓(徒歩)

旧高野家住宅 甘草屋敷

↓(徒歩)

塩山駅

↓(JR中央本線)

甲府駅

↓(徒歩)

武田神社

↓(徒歩)

武田信玄公墓所

↓(徒歩)

大泉寺

↓(徒歩)

甲斐善光寺

↓(徒歩)

甲府城跡(舞鶴城公園)

↓(徒歩)

甲府市藤村記念館(旧睦沢学校校舎)

↓(徒歩)

甲府駅

地域の名物

  • ほうとう

リンク

コメント

このブログの人気の投稿

斎宮歴史博物館:柵列の間をくぐり抜け、古代国家の祈りに触れる、祈りの都が農村へ変わるまで

斎宮跡を歩いたあと、その流れのまま斎宮歴史博物館へ向かいました。駅前から感じていた木造風の意匠や、整えられた景観の延長線上に、この博物館の落ち着いた佇まいがあり、ここでようやく「斎宮」という言葉が指す世界の輪郭を、資料と展示で掴めそうだと思いました。斎宮は史跡としては広々としていて、当時の建物がそのまま立ち上がっているわけではありません。その分、見学者の頭の中で想像を補う余地が大きいのですが、博物館はその空白を、根拠と手触りのある情報で丁寧に埋めてくれる場所でした。 ちょうど特別展「天地(あめつち)の神を祈りて-伊勢神宮、そして斎宮-」が開催されており、展示室に入ると、ここが古代から信仰の重要な舞台だったことを、古墳時代の出土品などの実物資料を通して実感できました。伊勢神宮が成立していく過程、そこに斎宮・斎王という制度が結びついていく必然性が、単なる言葉の説明ではなく「この土地から出てきたもの」と一緒に語られるので、歴史がふわっとした神話のように遠ざからず、現実の地層の上に積み上がった出来事として迫ってきます。斎宮跡を先に見ていたからこそ、「あの広い区画が、ただの空き地ではなく、国家的な祈りを担う装置だったのだ」という感覚が、じわじわと身体に染みてきました。 特別展のあとに常設展を見ていくと、展示室が二つに分かれている構成が分かりやすく、斎宮という存在を別々の角度から立体的に捉えられるようになっていました。展示室1のテーマは「文字からわかる斎宮」です。延喜式のレプリカが示す制度としての斎宮、そして源氏物語、栄華物語、大和物語といった文学作品の中に現れる斎宮や斎王の姿が並ぶと、斎王がただの宗教的存在ではなく、宮廷文化の文脈の中でも強く意識された存在だったことが見えてきます。文学の中の斎王は、歴史の事実だけでは捉えきれない感情や視線をまとっていて、制度の説明とは違う温度で当時の人々の心情を想像させます。 さらに、文字が書かれた土器や印といった資料も展示されていて、「斎宮は祈りの場」という一言では片づかない、運用のための事務や情報のやりとりが確かにあったことが伝わってきました。展示の中には、武官や男女の子どもの等身大人形と当時の衣装があり、そこに復元された葱華輦(そうかれん)や斎王の居室の再現も続きます。文字資料を中心とする展示室1なのに、こうした視覚的・空間的な復元がし...

新島旧邸:京都の町なかで思いがけず出会った特別公開

京都文化博物館に行くために京都市に来たこの日、私は開館までの時間を使って京都御苑を歩いていました。ところが、京都御苑は思っていた以上に見どころが多く、閑院宮邸跡や京都御所、桂宮邸跡などを見て回っているうちに、気づけばかなりの時間が過ぎていました。少し急ぎ足で京都文化博物館へ向かっていた途中、ふと目に入ったのが「新島旧邸 特別公開中」という文字でした。その瞬間、「あの新島だろうか」と思って案内を見ると、やはり同志社の創立者として知られる新島襄の旧邸でした。まったく予定していなかった立ち寄りでしたが、こうした思いがけない出会いも旅の大きな魅力です。入り口のスタッフの方に尋ねると、毎週土曜日は特別公開の日で、建物の内部も見学できるとのことでした。ここまで予定以上に時間を使ってしまっていましたが、せっかくの機会なので見学することにしました。 新島襄は、明治時代の日本において近代的な教育の実現を目指した人物として知られています。海外で学び、キリスト教や欧米の教育思想に触れた新島襄は、帰国後に京都で同志社英学校を創立し、日本の新しい教育のあり方を切り開こうとしました。その新島襄が暮らした旧邸が、京都の町なかに今も残されていること自体、とても貴重なことだと思います。しかも、この建物は単なる住まいではなく、新しい時代の思想や暮らし方を映し出す場でもあったのでしょう。明治という、和と洋、伝統と近代が激しく交差した時代の空気を、建物そのものから感じ取ることができるように思えました。 最初に見た日本風の附属屋は、落ち着いた雰囲気の建物でした。展示品もありましたが、同志社社史資料センター所蔵資料のレプリカが中心だったようで、いつか訪れてみたいと思っていた資料センターの予習のような時間にもなりました。この附属屋は新島襄の両親のために建てられたものだそうで、そのことを知ると建物の見え方も変わってきます。新しい時代の教育を志し、西洋の知識を積極的に取り入れた新島襄ですが、その一方で家族を大切にし、日本的な暮らしの空間もきちんと用意していたことが伝わってきます。近代化というと、何かを一方的に捨てて新しいものに入れ替えるような印象を持ちがちですが、実際にはこうして古いものと新しいものを併せ持ちながら進んでいったのだろうと感じました。 続いて見学した母屋は洋風の造りで、附属屋とはまた違った魅力がありま...

寺田倉庫G1ビル:NAKED meets ガウディ展:“作品鑑賞”ではなく“思考体験”としてのガウディ

東京都品川区の寺田倉庫G1ビルで開催された「NAKED meets ガウディ展」に行きました。2月11日の午後に一度訪れたときは、想像以上の人気で入場が3時間待ちになってしまい、その日は予定を変更して引き返しました。せっかくなので仕切り直し、別の日の朝10時少し前に再訪すると、この時間でもすでに人が多く、入口を抜けた先のエレベーター前でしばらく待つことになりました。展覧会が始まる前から熱量が伝わってきて、「ガウディは“作品”というより“体験”として見られているのかもしれない」と思いながら列に並びました。 会場に入ると、まずガウディの生涯が簡潔に紹介されます。19世紀後半から20世紀初頭のバルセロナは、産業の発展とともに都市が急速に膨張し、同時にカタルーニャ独自の文化が芸術へと結晶していった時代でした。いわゆるモデルニスモ(カタルーニャ・モダニズム)の潮流の中で、ガウディは歴史主義や装飾の流行に回収されない、自然の秩序そのものを建築へ翻訳するような道を選びます。その入口として、この展覧会は「自然から得た造形美」を前面に出していました。 印象的だったのは、自然物と建築部位を並べて見せる導入です。「小麦」とサグラダ・ファミリア上部の塔、「にんにく」とカサ・バトリョの換気塔、「糸杉の円錐」とベリュスグアルドの塔、「キノコ」とグエル公園の煙突、「樹の柱」とサグラダ・ファミリア内部の柱、「ハチの巣」とカサ・カルベットの覗き穴といった対応関係が、説明とレプリカ展示で示されていました。ここで面白いのは、自然を“模倣”するというより、自然の形が生まれる理屈や強度のあり方を“借りている”ように感じられる点です。曲線は気まぐれな装飾ではなく、重さを受け流し、光を導き、空間を育てるための構造そのものなのだと、最初のコーナーだけでも伝わってきました。 次のコーナーでは、バルセロナ来訪後のガウディの作品が、少し変わった見せ方で並びます。壁面にエル・カプリチョ、カサ・ビセンス、グエル邸、アストルガ司教館、カサ・ボティネスなどのファサードが立体的に配置され、そこにプロジェクションマッピングのような映像が流れていました。建物を単体で鑑賞するというより、街の中で呼吸し、時間とともに表情を変える“都市の一部”として体感させる構成で、バルセロナの通りを歩きながら次々に建築に出会う感覚がうまく再現されている...