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大崎八幡宮:秋保の余白が導いた、黒と金の社殿に出会う午後

秋保温泉周辺をひと通り歩いたあと、午後に少し時間が余ったので仙台市青葉区の大崎八幡宮へ向かいました。仙台の中心部の観光スポットとはやや離れていて、狙って時間を作らないとなかなか来る機会がない場所だと思っていたので、「この余り方はちょうどいい」と感じました。

仙台駅から市バスに乗り、車窓の向こうに大きな朱色の鳥居が見えてきた瞬間、街の流れがふっと切り替わるようでした。

鳥居をくぐると、参道は想像以上に奥行きがあり、ところどころに階段も挟みながらゆるやかに進んでいきます。観光の“移動”がそのまま“参拝への助走”になっていて、歩くほどに気持ちが静まっていきました。

やがて見えてきたのが「長床」です。門のようでもあり、拝殿のようでもある、不思議な存在感の建物で、中央が通路になっている「割拝殿」という形式だと知ると、ただの通過点ではなく、ここ自体が参拝の空間なのだと納得がいきました。長床は江戸時代中期(寛文年間・1660年代頃)に建てられたとされ、御社殿に寄り添うように境内の構えを整えてきた建物なのだそうです。

長床をくぐった先に現れる御社殿は、さすが国宝という佇まいでした。黒地の屋根や柱を基調にしながら、胡粉の極彩色や金具装飾が随所で光り、落ち着きと華やかさが同居しています。拝殿・石の間・本殿を一体としてつなぐ「石の間造(権現造)」の典型で、桃山建築の傑作と評される理由が、目で見てすっと伝わってきました。伊達政宗の命によって慶長12年(1607)に造営されたことが棟札からも分かるとされ、400年以上前の美意識が今も現役で立ち上がっているのが驚きです。

歴史を辿ると、この社は平安期の坂上田村麻呂による勧請に始まるという伝承があり、のちに大崎氏が遷祀して「大崎八幡宮」と呼ばれるようになりました。大崎氏滅亡後は伊達政宗が御神体を移し、仙台開府に合わせて現在地に鎮め、仙台の総鎮守として崇敬されてきたとされています。主祭神は応神天皇・神功皇后・仲哀天皇の三柱で、武家の守護神としての性格も色濃く、土地の歴史と政治の重心がそのまま信仰のかたちになっているように感じました。 

私が訪れたのは春先の穏やかな日でしたが、ここは正月の「松焚祭(どんと祭)」でも知られ、裸参りを含めて仙台の冬の風物詩として大きな賑わいになるそうです。季節を変えて来れば、同じ境内でもまったく違う表情が見られるのだろうと想像が膨らみました。 

参拝を終えて境内をひと回りし、来た道を戻ってバス停へ向かうころには、短い滞在でも「来てよかった」という感覚がしっかり残っていました。観光の合間にぽつんと生まれた余白が、国宝の空間に吸い込まれていくような午後で、仙台という都市の奥行きをもう一段深く知った気がします。

旅程

東京

↓(新幹線)

仙台駅

↓(バス)

秋保・里センター(バス停)

↓(バス)

(略)

↓(徒歩)

秋保温泉

↓(バス)

大崎八幡宮

↓(バス)

仙台駅

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