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養福寺:月雪梅、石のささやきに耳を澄ます日

本日、谷中の寺町を探索しており、諏方神社から南へ下って荒川区の養福寺(ようふくじ)に立ち寄りました。周辺は小さな坂と路地が入り組み、古い屋根と新しい外壁が交互に現れる、いかにも下町の寺域らしい風景が続きます。境内に入ると、まず朱色の仁王門が視界を奪いました。赤は魔を払う色といわれ、江戸の寺々でも門や灯籠にしばしば用いられますが、ここでも鮮やかな朱が周囲の緑に映え、旅の疲れが一度に覚めるようでした。 養福寺の由緒を示す説明板を読むと、境内には淡林派の句碑が点在しているとありました。梅翁花樽碑、雪の碑、月の碑——いずれも季節や気配を一語で立ち上げる俳諧の呼吸を伝えるもので、石肌に刻まれた文字を追うと、江戸の文人たちがこの土地に息づいていたことが実感できます。谷中一帯は寛永寺の門前町として寺院が集まり、江戸の大火のたびに町の再編が進むなかで、寺は避難と祈りの拠点として機能してきました。こうした歴史的背景が、信仰と文芸が同居する空気を今に残しているのだと思います。 境内は大寺の壮麗さとは違い、手入れの行き届いた庭と静かな本堂が印象的でした。門前の往来から数歩入っただけで音が和らぎ、蝉の声と線香の香りが重なります。俳諧の石碑はただの「見どころ」ではなく、通り過ぎる時間をゆっくりにしてくれる装置のようでした。古いものと新しいものが混ざり合うこの界隈では、建物の年代だけで価値を測ることはできません。朱の門は現在の町並みに鮮烈なアクセントを加え、句碑は過去からのささやきを運んできます。2019年の晩夏、谷中散歩の一コマとして訪れた養福寺は、そんな時間の重なりを確かめさせてくれる場所でした。次に来るときは、季節を変えて、月や雪の句にふさわしい光景の中で石碑をもう一度読み直してみたいと思います。 旅程 (略) ↓(徒歩) 法光寺 ↓(徒歩) 諏方神社 ↓(徒歩) 養福寺 ↓(徒歩) 啓運寺 ↓(徒歩) (略) 周辺のスポット 法光寺 諏方神社 谷中銀座 夕やけだんだん リンク 養福寺/荒川区公式サイト

諏方神社:山車の伝説をたずねて、下町に息づく源氏の面影

荒川区の諏方神社(すわじんじゃ)を訪れたのは、まだ暑さの残る8月の終わり、よく晴れた日のことでした。その日は谷中周辺を歩きながら、いくつかの神社やお寺をめぐっていました。都内とは思えないほど静かな住宅街の一角に、諏方神社は佇んでいました。 鳥居をくぐると、地域の人々に親しまれてきた歴史を感じる境内が広がっています。 社殿の前には「源為朝公の山車」についての説明板があり、荒川区のこの地に源為朝に由来する山車が伝えられていることを知りました。源為朝は、源氏の武将で勇猛果敢な人物として知られています。お祭りの日にはその山車が曳かれるのでしょうか。残念ながらこの日は実物を見ることはできませんでしたが、次の機会にはぜひ、その姿も拝見したいものです。 参拝を済ませ、ふと境内の隅々を見渡すと、都心にいながらも、どこか懐かしさや落ち着きを感じます。神社の隣には法光寺があり、次の目的地としてそちらへと足を運びました。谷中から荒川界隈の神社仏閣を歩くひとときは、都会の中で歴史や伝統に触れられる、心安らぐ時間となりました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 法光寺 ↓(徒歩) 諏方神社 ↓(徒歩) 養福寺 ↓(徒歩) 啓運寺 ↓(徒歩) (略) 周辺のスポット 法光寺 養福寺 谷中銀座 夕やけだんだん リンク 諏方神社ホームページ 諏方神社【おすわさま】 - 東京都神社庁 日暮里・谷中の総鎮守「諏方神社」 - 荒川区立図書館 諏方神社/荒川区公式サイト 〜荒川区でご朱印めぐり〜 諏方神社 @西日暮里 | 荒川探訪 by ara!kawa | モノづくりの街・荒川区の地域情報サイト

歌舞伎座ギャラリー回廊:伝統と高層ビルが重なる風景、籠と船と刀が語る舞台裏

本日は歌舞伎座ギャラリー回廊に行きました。 銀座駅から地下通路を東銀座方面へ歩くと、ひんやりした空気の中に扇子や手拭いが並ぶ売店が現れました。地下で既に歌舞伎の世界が始まっているのが面白く、色とりどりの隈取模様のグッズを眺めているだけで気分が高まります。 地上に出ると、唐破風の屋根をいただく古典的な劇場の背後に近代的な高層ビルがそびえ、伝統の殿堂と都市のダイナミズムが一枚の風景に同居していました。少しの違和感と、むしろ未来へとつながる不思議な安心感を同時に覚えます。 このビルは歌舞伎座タワーで、その5階に「歌舞伎座ギャラリー回廊」があります。館内では、舞台で使われる張り子の馬や駕籠、船の道具、刀、豪華な衣裳などが、照明のもとで静かに存在感を放っていました。近くで見ると、観客席からはわからない細工が随所に施されていて、道具一つにも物語を背負わせる手仕事の積み重ねが伝わってきます。 壁面には歌舞伎独特の化粧「隈取」の実例が並び、赤は勇壮、藍は冷酷、茶は怪異といった色が役柄の性格や心情を示すことを改めて学びました。役者の「見得」と同じように、化粧もまた物語を一瞬で語る記号なのだと感じます。 回廊を抜けて屋上庭園へ出ると、銀座の空を切り取るような緑の一角が広がっていました。公演を待つ人たちがベンチで休み、遠くに首都高の走る音がかすかに響きます。都会の真ん中で、舞台の高揚と開演前の静けさが交わる、不思議に落ち着く場所でした。 歌舞伎は、江戸初期に出雲阿国のかぶき踊りに端を発し、江戸や上方の庶民文化と共に成熟してきた芸能です。明治期に誕生した歌舞伎座は、火災や震災、戦災を経て何度も再建され、現在の建物は伝統的な劇場意匠と高層オフィスを一体にした形で2010年代に新たな門出を迎えました。格式を守りながら現代の都市と共生する設計は、歌舞伎そのものが時代に応じて上演様式や舞台技術を更新してきた歴史と響き合っているように思います。 今回は公演の時間が合わず舞台は見られませんでしたが、道具と化粧の世界を覗いたことで、次は客席に座って音と光と所作が一体となる瞬間に立ち会いたいという思いが一層強まりました。地下で手に取った扇子の柄を思い出しながら、伝統が現在形で息づく銀座の劇場を後にしました。次に訪れるときは、幕が上がる直前の鼓動も含めて味わいたいと思います。 旅程 銀座駅 ↓(徒歩) 歌舞...

カパルチャルシュ/グランドバザール(イスタンブール):石造の門が開く商いの迷宮、絨毯の海と陶器のきらめき

イスタンブールのカパルチャルシュ(グランドバザール)を訪れました。 外観は丸いドーム状の屋根が連なり、石造りの重厚な門がいくつも口を開けています。街の喧騒の中にあっても、長い歳月をくぐり抜けてきた建物の存在感があり、門をくぐる前から歴史の気配をはっきりと感じました。 中に入ると、印象は一転します。通路は整えられ、ガラス張りのショーウィンドウが光を返し、まるで現代のショッピングモールのような明るさでした。整然とした通りの両側には、伝統的なトルコ絨毯や手刺繍の服、藍や赤が鮮やかな陶器、金や銀の貴金属が並び、店主の呼びかけと人々の会話が交じり合って独特の活気を生んでいます。歴史の器に最新の店舗が収まっているような不思議な調和があり、歩くほどに時代を行き来しているような気持ちになりました。 17世紀に作られたキオスクの一つ この市場の成り立ちを知ると、その感覚の理由が少し分かります。カパルチャルシュは、オスマン帝国の時代に宝物庫や布を扱う市場から始まり、周囲の商店や職人街が次第に屋根で覆われて巨大な商業空間へと広がっていったとされています。幾度もの火災や地震を経て修復と改修を重ね、要所には石造のアーチとドームが残り、天井の高い回廊が迷路のように続きます。つまりここは、帝都の経済を支えた「生きたインフラ」が、時代ごとの商いの形を受け止めながら現在まで続いてきた場所なのだと思いました。 歩を進めるたび、織り模様の細やかな絨毯の手触りや、陶器の釉薬の艶、金細工の光沢に足が止まります。観光客向けの店構えであっても、品物の向こう側には職人の技が息づいており、一点ものに出会う楽しさがあります。値段交渉の声があちこちから聞こえ、買い物がコミュニケーションそのものであることも感じました。通路の角から角へと眺めが切り替わるたびに、古いアーチと新しいショーケースが同じ画面に収まり、イスタンブールという都市の多層性がそのまま凝縮されているように思えます。 外に出て振り返ると、石の門とドームの連なりが再び静かに立っていました。内部の賑わいを包み込みながら、街の時間を黙って受け止めてきた器のようです。歴史に守られた空間が現代の商いを呼吸している――そんな市場だからこそ、初めて訪れてもどこか懐かしく、何度でも歩き直したくなるのだと感じました。今回は絨毯や陶器、貴金属を眺めるだけでも十分に楽しく、次に来...

ガラタ塔:行列に挫けて見つけた景色、石の塔のふもとで雨宿り

イスタンブール観光の二日目の午後は、新市街地のガラタ塔に行きました。 本日は、朝から旧市街の王道を歩きました。地下宮殿のひんやりした闇を抜け、トプカプ宮殿の回廊で金角湾からの風を感じるうちに、石畳の街に少しずつ体が馴染んでいくのを覚えました。人混みを避けて横道を選んでいると、「昼、一緒にどう」と声をかけられます。旅先での唐突な誘いに一瞬身構えましたが、通りの真ん中にテーブルを出し、親戚一同が賑やかに食事を囲んでいる光景に肩の力が抜けました。「どうぞ」と手渡された家庭の味は素朴で温かく、知らない土地で不意に居場所をもらえたような気持ちになりました。 午後は新市街へ、と伝えると、口をそろえて勧められたのがガラタ塔でした。もともと行くつもりでしたが、地元の人の太鼓判に背中を押され、まずは塔を目指します。金角湾を渡ると、丘の上に円筒形の石塔がすっと立ち上がり、遠目にもよく目立ちます。ガラタ塔は14世紀、ジェノヴァ人が築いた街ガラタの城壁の一部として建てられたと伝わり、のちにオスマン時代には市中を見渡す火の見や、監視の拠点にも使われました。伝説では、17世紀に風乗りのヘザルフェン・アフメト・チェレビが、ここから翼で金角湾を越えたとも語られます。旧市街と新市街、ヨーロッパとアジア、歴史と現代を見晴らすこの塔は、まさに都市の「交差点」を象徴する存在だと感じます。 ところが、ふもとに近づくにつれ、現実はなかなか厳しいものでした。入口から蛇行する行列は、日本の人気ラーメン店さながらの長さで、しかも空模様が急変して雨粒が落ちてきます。展望階からの景色を楽しみにしていただけに残念でしたが、古い塔ゆえに入場者数を調整しているのかもしれません。長い時間をかけて積み上げられた石の静けさを壊さないための配慮だと考えると、列の長さにも納得がいきました。 結局この日は上ることをあきらめ、足元のカフェで雨宿りをしながら、塔の外壁を流れる雨筋を眺めました。金角湾の向こうに見えるモスクの群れ、背後に広がる近代的な街並み、そして自分の手前で立ち止まる雨――目の前の景色は、上から見下ろすのとは違う密度で胸に残ります。旅では、計画通りに行かない瞬間こそ、街の素顔に触れられるのかもしれません。昼食のテーブルで交わした「どうぞ」という一言と、上れなかった塔を見上げた首筋の雨の冷たさは、私にとって同じ一日の連続した記...

トプカプ宮殿:イスラムとヨーロッパの交差点、スルタンの記憶が眠る宮殿でオスマンの夢をたどる

トルコのイスタンブール観光の2日目。地下宮殿のあと、トプカプ宮殿に向かいました。 イスタンブールを訪れるなら、一度は足を運んでほしいのが「トプカプ宮殿」です。この壮大な宮殿は、オスマン帝国のスルタンたちが約400年にわたり政務と私生活を営んだ、歴史的にも美術的にも非常に価値の高い場所です。ボスポラス海峡と金角湾を望む絶好のロケーションに建てられており、イスタンブールの旧市街を歩いていると、その威容に自然と引き寄せられるような気持ちになります。 トプカプ宮殿の建設は、オスマン帝国の第7代スルタン、メフメト2世によって1459年に始められました。彼がコンスタンティノープルを征服したわずか6年後のことです。以後、19世紀半ばまでの長い間、オスマン帝国の中枢として機能してきました。その後、近代化を進めていたスルタンたちは、新たに建設されたドルマバフチェ宮殿へと移り、トプカプ宮殿はその役割を終えることになります。 この宮殿は、中庭が4つも連なる構造を持っており、訪れる人々はその順に進んでいくことで、まるで時代や空間を旅するような感覚を味わうことができます。第一中庭は一般市民にも開かれていた広場で、古代ビザンツ時代の教会「アヤ・イリニ」が残されています。次に進むと、行政の中心だった第二中庭に入ります。ここには、重臣たちが会議を開いていた「御前会議の間」や、かつての台所跡などがあり、かつての宮廷生活の片鱗を感じさせます。 さらに「幸福の門」を通り奥に進むと、スルタンの私的な領域である第三中庭へと入ります。ここには、オスマン帝国の宝物が収められた「宝物庫」や、神聖な「聖遺物室」があります。特に聖遺物室には、イスラム教の預言者ムハンマドの髭や剣などが展示されており、非常に神聖な空間となっています。ムスリムでなくとも、その静謐な雰囲気には自然と背筋が伸びるような気持ちになります。 そして第四中庭は、美しい庭園やパビリオンが広がる、まるで別世界のような空間です。ここからはボスポラス海峡の青い水面を一望でき、風に揺れる木々や花々が、長い歴史に包まれた宮殿に穏やかな表情を添えてくれます。なかでも「バグダッド・キオスク」は戦勝を記念して建てられた建物で、精緻な装飾やタイルがとても印象的です。 忘れてはならないのが「ハーレム」です。ここはスルタンの家族や側女たちが暮らしていた特別な空間で、まさに...

地下宮殿:メデューサが眠る神秘の石の回廊、石柱が語るビザンツの物語

トルコ観光2日目の朝、イスタンブールの地下宮殿を訪れたました。外は今にも雨が降り出しそうな曇り空で、街を歩く人々も少し足早に見えたのを覚えています。そんな中、期待と少しの緊張を胸に、地下宮殿への階段を降りていきました。 地下へと進むと、ひんやりとした空気が頬に心地よく、上とはまるで別世界のような静けさが広がっていました。内部は想像していたよりもずっと広大で、天井は高く、あたりはライトの明かりがところどころに灯るのみで、全体的に薄暗い雰囲気です。その暗がりがまた歴史の重みを感じさせてくれます。 歩を進めるごとに、いくつもの石柱が林立している光景が目に飛び込んできます。一つひとつの柱や天井には美しい装飾が施されていて、ただの貯水池とは思えない荘厳さがありました。この地下宮殿は、ビザンツ時代の6世紀、ユスティニアヌス1世の時代に造られたとされ、イスタンブールの街を支えてきた重要なインフラでもありました。 中でも印象的だったのは、柱の土台に彫られている逆さまの顔です。ガイドブックで予習していた「メデューサの頭」を実際に目にした時は、その大きさと不思議な迫力に圧倒されました。なぜ顔が逆さまなのか、その理由には諸説あるようですが、こうした伝説や謎も、訪れる人々の想像をかき立てる大きな魅力の一つです。 静かに水が張られた地下の広間を歩きながら、遥か昔の人々がこの場所でどんな思いを巡らせていたのだろうと考えました。イスタンブールの喧騒とはまったく異なる、静謐で神秘的な空間で、短い時間でしたが悠久の歴史に包まれる特別な体験となりました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 地下宮殿 ↓(徒歩) トプカプ宮殿 ↓(徒歩) Sırkecı駅 ↓(路面電車) (略) Karaköy駅 ↓(徒歩) ガラタ塔 ↓(徒歩) Karaköy駅 ↓(路面電車) Sırkecı駅 ↓(路面電車) ホテル 周辺のスポット アヤソフィア(ハギア・ソフィア) トプカプ宮殿 スルタンアフメト・モスク 地域の名物 シシケバブ ドネルケバブ リンク イスタンブールの地下宮殿「バシリカ・シスタン」|おすすめトルコ観光地BEST20 | トルコ旅行・トルコツアー おすすめプラン満載の【ターキッシュエア&トラベル】