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法光寺:富士見坂の下で出会った江戸と昭和の記憶

東京都荒川区の法光寺に行きました。

この日は谷中周辺を歩き、向陵稲荷神社、青雲寺、修性院などを巡っていました。修性院などがある一帯から富士見坂を下り、そのすぐ南側にある法光寺へ向かいました。現在では周囲に住宅が建ち並んでいますが、このあたりは江戸時代から多くの寺院が集まってきた地域でもあります。

法光寺は日照山と号する法華宗陣門流の寺院です。創建年代については資料によって記載に違いがあり、慶安3年(1650年)創建とする案内もありますが、『四谷区史』をもとにした寺社資料では、寛永3年(1626年)に赤坂一ツ木で創建されたとされています。開基は、江戸時代初期の大名で安房東条藩主だった西郷正員です。

法光寺は最初から現在の西日暮里にあったわけではありません。赤坂で創建された後、幕府の用地となったため、承応2年(1653年)に四谷南寺町へ移り、その後も市谷本村などへ移転しています。そして明治維新後になって、現在の富士見坂の下へ移ってきました。400年近い歴史を持つ寺ですが、場所を何度も変えながら現在まで続いてきたことになります。

実際に訪れてみると、本堂は明治時代から残っている建物という感じではなく、かなり新しく見えました。寺そのものの歴史と、現在目にしている建物の年代が必ずしも一致しないのは、東京の寺院を巡っているとよく感じることです。移転だけでなく、関東大震災や東京大空襲、戦後の再建などを経験した寺院も多く、現在の建物だけを見て寺の歴史を判断することはできません。

法光寺で特に印象に残ったのは、入口の門の横に建てられていた「陸軍少年飛行兵慰霊」の石碑でした。陸軍少年飛行兵は、少年のうちから陸軍航空部隊の人材として教育を受けた制度で、太平洋戦争中には15歳前後の少年たちも訓練を受けています。法光寺の慰霊碑の由来には、ノモンハン事件から終戦までに陸軍少年飛行兵として戦地へ赴いた者が約4万5千人に及び、多くの戦没者が出たことから、生存者や遺族らによって慰霊のため建立されたことが記されています。

少年飛行兵というと、戦闘機を操縦する若者を想像しやすいですが、実際には操縦だけでなく通信や整備など航空部隊を支えるさまざまな分野へ進みました。たとえば大津陸軍少年飛行兵学校では、第15期から第20期まで8千人以上が基礎教育を受け、その後、操縦・通信・整備の各学校へ進んだとされています。

谷中や日暮里の寺院を巡っていると、江戸時代の文化人の墓や古い石碑などに出会うことが多いですが、法光寺では思いがけず昭和の戦争史に触れることになりました。一つの寺院の中に、江戸時代から続く寺の歴史と、近代の戦争を記憶する慰霊碑が共存しているところも、東京の寺町を歩く面白さなのだと思います。

法光寺を見た後は、そのまま南隣にある南泉寺へ向かいました。谷中から西日暮里にかけては、少し歩くだけで次々と寺院や史跡が現れます。富士見坂を下りながら歩いたこの日も、それぞれの寺に残された異なる時代の歴史をたどる散策となりました。

旅程

(略)

↓(徒歩)

修性院花見寺

↓(徒歩)

法光寺

↓(徒歩)

南泉寺

↓(徒歩)

諏方神社

↓(徒歩)

養福寺

↓(徒歩)

啓運寺

↓(徒歩)

経王寺

↓(徒歩)

日暮里駅


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