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長仙寺:朱の門、緑の庭で心ほどく、杉並の小さなオアシス

杉並区の住宅街のなかに静かに佇む長仙寺(ちょうせんじ)を訪ねました。 まず目に入ったのは、鮮やかな朱色が目を引く山門です。近づくと木組みの陰影がくっきりと浮かび、境内の緑と対照をなしていました。 門の内側に進むと、芝や苔が陽に透けて柔らかい明るさを帯び、都会にいることを忘れるほど穏やかな時間が流れていました。仁王像が睨みをきかせるこの朱塗りの門は、邪を払う結界としての存在感も十分で、ここから先は心を落ち着けて進みたい、そんな気持ちにさせてくれます。 本堂の前で一礼し、手を合わせました。堂宇の軒が差し出す影の下で、境内の緑の気配と参道の静けさが背中に集まってくるようです。参拝を終えてからあらためて見上げると、現代の街並みに調和しつつも、寺の時間をゆったりと刻む佇まいが印象的でした。 この寺は真言宗豊山派に属し、本尊は不動明王です。寺伝では宝永元年(1704)に中野・宝仙寺の僧・真秀が一庵を結んだのが始まりとされますが、住職墓地には慶安4年(1651)没の宥観和尚の墓が残り、創建はさらに遡る可能性が示されています。江戸後期の寛政8年(1796)に本堂を焼失し、嘉永3年(1850)に再建。昭和10年(1935)には再び本堂を新築しましたが、戦災で焼失し、現在の寝殿造の本堂は昭和44年(1969)に建立されたものです。本尊の木造不動明王立像は区の文化財にも指定され、寺の歴史を静かに見守ってきました。 山門の朱と境内の緑、本堂の落ち着いた意匠が織りなす色と光は、季節や時間によって表情を変えるのでしょう。街の喧騒から数分歩いただけで、こうして心を鎮める場に出会えることのありがたさを、改めて感じる一日でした。 旅程 高円寺駅 ↓(徒歩) 長仙寺 ↓(徒歩) 高円寺駅 関連イベント 周辺のスポット 高円寺 地域の名物 関連スポット リンク 長仙寺 【寺院】(高円寺南3丁目58番4号)|杉並区公式ホームページ 長仙寺|すぎなみ学倶楽部

赤羽自然観察公園:旧家が語る、まちの歴史と自然の記憶

コロナ禍で遠出が難しい日々が続いていますが、本日は東京都北区の赤羽自然観察公園を訪れました。天気は晴れ。気分転換も兼ねてスクーターで出かけられる範囲で、これまで訪れたことのない赤羽エリアに足を伸ばしてみることにしました。 普段、どうしても運動不足になりがちなので、広めの公園を探していたところ、地図で見つけたのが赤羽自然観察公園です。公園の名前の通り、園内には池が広がり、木々が豊かに茂っています。鳥のさえずりや木漏れ日が心地よく、都会の中とは思えないほど自然を感じることができました。 この公園の魅力は、自然だけにとどまりません。なんと、園内には江戸時代後期の旧家・松澤家住宅が移築保存されているのです。茅葺屋根の古民家がそっとたたずむ様子は、まるで時代をさかのぼったかのような気持ちにさせてくれます。松澤家住宅は、もともと北区赤羽にあった農家で、江戸時代後期に建てられたものだそうです。公園の自然とともに、地域の歴史や文化にも触れられるのは嬉しいポイントです。 都心からさほど離れていない場所で、豊かな自然と歴史を同時に味わえる赤羽自然観察公園。散策の合間に池のほとりでのんびりしたり、旧家のたたずまいに思いをはせたり、思い思いに過ごすことができました。何気ない日常の中で、身近な場所にこんな贅沢な空間があるのだと気づかされた一日でした。 旅程 東京 ↓(スクーター) 赤羽自然観察公園 ↓(スクーター) 東京 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 関連スポット リンク 赤羽自然観察公園 - 北区・赤羽地区 赤羽自然観察公園|東京都北区

縁切榎:路地にひそむ祈り—板橋宿で「切」と「結」を想う

中山道の板橋宿を歩いたとき、路地の切れ目にふっと現れる小さな祠と大きな榎に惹かれて足を止めました。そこが「縁切榎(えんきりえのき)」です。境内は建物の合間にすっぽりとおさまり、風に揺れる葉の音だけが街の喧騒から切り離してくれるようでした。目に入ってくるのは、所狭しとかかった絵馬の数々。願いごとの重みを感じつつも、私は切りたい「縁」があるわけではなかったので、その日は手を合わせず、ただ静かに眺めるだけにしました。 帰ってから由来を調べてみると、ここは江戸時代から板橋宿の名所として知られ、男女の悪縁を断つほか、断酒など「悪癖」を絶ちたい人々が願をかけた場所だと分かりました。現在は「悪縁は断ち、良縁は結ぶ」場として信仰され、境内に奉納された絵馬の多さにも合点がいきます。 名前の由来にも江戸らしい言葉遊びがあります。近隣の旗本屋敷の垣に、榎(えのき)と槻=けやき(つき)が並んでいたことから「えのき・つき」と呼ばれ、それが「えんつき(縁尽き)」へ、さらに「縁切り」へと転じて広まったと伝わります。いま境内に立つ木は三代目で、長い時間を経て信仰が受け継がれてきたことを物語っていました。 歴史の逸話も面白く、文久元年(1861年)に皇女和宮が十四代将軍・徳川家茂へ降嫁する道中、この「縁切り」にあやかるのを避けるため、行列はここを迂回したと伝わります。婚礼の一行がわざわざ道を変えたという話は、当時の人々がこの場に抱いた畏れと信心の深さをよく伝えています。 私自身はその場で手を合わせませんでしたが、「悪縁を断ってこそ、良縁が結ばれる」という考え方に触れると、あの日ひとことでも日々の煩わしさを手放す願いを託しておけばよかったかもしれない、と少しだけ思います。中山道の宿場の歴史が息づく一角で、過去と現在の祈りが折り重なっている――そんな感覚を味わいました。 ちなみに、板橋駅前の広場には「むすびのけやき」と呼ばれるケヤキがあり、縁切榎で悪縁を断ったあと、こちらでおみくじを結んで開運や良縁を願うという“切って結ぶ”巡りが地元で案内されています。宿場町の面影をたどりながら、心の区切りと新しい出会いの始まりを同時に願えるのは、板橋ならではの楽しみ方だと感じました。 最後に場所の印象をもう一度。商店街の角にぽっかり開いた小さな社と、空を支えるように枝を伸ばす榎。行き交う人の生活のすぐ脇に、静かな祈り...

高稲荷神社:親子のきつねが見守る台地の小社

練馬区桜台の高みに鎮座する高稲荷神社(たかいなりじんじゃ)を訪ねました。 石段を上がると、木々の合間から石神井川の流れを感じさせる風が通り抜け、社殿はこぢんまりとしながらも静かな気配に包まれていました。社前には二体のきつねが控え、左側の足元にはさらに小さなきつねが寄り添うように彫られていて、まるで親子の姿を写したように見えます。稲荷の眷属として人の願いを聞き届ける役目を担う存在に、境内の素朴さと温かみが一層重なって感じられました。 この社は、石神井川に臨む台地の上にあります。かつて崖下は大きな沼で、その主は大蛇であったという伝承が練馬に残ります。ある若者がこの大蛇に見込まれて沼へ引き込まれ、その霊を慰めるために祀られたのが高稲荷だとも語られてきました。地名の記憶と川の地形が連れてくる物語は今も地域の語り草で、台地に立つ社の位置がその舞台装置であったことを想像させます。 社の由緒は詳らかではありませんが、文政五年(1822)ごろから下練馬村・三軒在家の守護神として崇敬されたと伝わります。稲荷としてのご祭神は食物の神・保食命(うけもちのみこと)とされ、五穀の実りと暮らしの安寧を願う小祠として、村の人びとに守られてきました。 境内には江戸後期の刻年を持つ石造物が残り、地域の信仰の厚みを物語ります。鳥居には嘉永六年(1853)の銘が見え、長い歳月のうちに社殿は改築されながらも、台地の高みという立地とともに、土地の記憶を静かに受け継いできました。 高稲荷神社の前でしばし足を止めると、親子に見えるきつね像と、川と沼にまつわる昔話が自然と結びつきます。人の暮らしを見守る小さな社と、自然の力を畏れ敬う物語。その二つが重なる場所だからこそ、素朴な社殿の佇まいに、今も地域の祈りが静かに息づいているのだと感じました。 旅程 練馬区駅 ↓(徒歩) 高稲荷神社 ↓(徒歩) 桜台駅 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 関連スポット リンク 高稲荷神社|練馬区桜台の神社 高稲荷と大蛇、堰ばあさん、栗山の大蛇 | 練馬わがまち資料館

龍寶山 萬昌院功運寺:吉良上野介と文化人が眠る町角

中野駅にスクーターを置いて周辺を歩いているうちに、静かな門前へ吸い寄せられるように萬昌院功運寺(ばんしょういんこううんじ)にたどり着きました。 山門をくぐると、境内には夏の光が落ち着いて差し込み、コロナ下で遠出ができなかった落ち着かない気分が、すっと静まっていくのを感じました。ここは曹洞宗の寺院で、もともと江戸市中にあった久宝山萬昌院と竜谷山功運寺が大正期に現在地へ移り、戦後の昭和23年に合併して今の寺号になったと伝わります。歴史を調べると、萬昌院は天正2年、今川義元の子・氏真の四男にあたる長得が開基、功運寺は慶長3年に永井信濃守尚政が父祖の菩提のために創建したという由緒で、江戸の記憶を今日へとつなぐ場所なのだと実感します。 この寺を広く知らしめているのが、赤穂事件で名の残る吉良上野介義央(きら こうずけのすけ よしひさ)の墓所です。墓域には吉良家14代から17代の供養塔が並び、討ち入りの夜に斃れた上野介の名も刻まれています。門前には中野区の文化財として吉良家墓所を示す案内板が立ち、歴史の現場が今も地域の手で静かに守られていることが伝わってきました。年末にたびたび上演される『忠臣蔵』のイメージでは悪役として描かれがちな上野介ですが、茶の湯や礼法に通じた教養人としての側面も指摘されており、墓前に立つと、その人物像の複雑さに思いを巡らせずにはいられません。物語がつくった陰影と史実のずれを意識できるのも、史跡を直接訪ねる醍醐味だと感じました。 境内の墓地には、ほかにも文化史を語る名が並びます。江戸後期の浮世絵師・歌川豊国(うたがわ とよくに)の墓は、役者絵や美人画で人気を博した一門の祖にふさわしく、静かな佇まいの中に華やかな江戸の舞台を想像させました。昭和の作家・林芙美子の墓もあり、『放浪記』の一節が胸によみがえるような、飾らない石碑が印象的でした。日々の暮らしの歓びと翳りを掬い上げた作家が、いまは都会の住宅地に包まれて眠っていると思うと、不思議と身近な存在に感じられます。 本堂の前で手を合わせると、境内のすみに幼稚園の建物が見え、ここが地域の日常と地続きであることを思い出しました。江戸から昭和、そして令和へと受け継がれてきた祈りの場は、歴史の重みを湛えながらも、子どもたちの声が似合う柔らかな空気をまとっています。12月には命日にちなむ吉良祭も営まれるそうで、季節の法要や...

宝泉寺:家から歩く旅、中野でつながる郷里の名跡

遠出を控えている時期なので、家から歩いて中井駅まで向かい、その先に連なる寺町を気の向くままに辿りました。塀越しに見える古い瓦、風に鳴る木陰、読経の微かな響き。そうして出会ったお寺のひとつが、中野区上高田にある曹洞宗の宝泉寺(ほうせんじ)でした。境内は隣接する寺院の墓地と連なって広がり、いかにもこの一帯が寺町として育ってきたことを物語っていました。江戸の市中からこの地へ寺々が移ってきた歴史があり、宝泉寺も創建後に江戸城外から牛込横寺町へ、さらに明治に現在地へと移ってきました。都市の膨張とともに寺社が少しずつ居場所を移し、やがて上高田の静けさの中に落ち着いていった過程を想像すると、寺町の景観そのものが近代東京の記憶の層でできているのだと感じました。 境内を巡るうち、目を引く案内板に出会いました。そこには「板倉内膳正重昌(いたくら ないぜんのかみ しげまさ)墓所」とあり、はじめは名前に覚えがありません。後で調べると、板倉重昌は徳川家康の近習を務め、三河国の深溝(ふこうず)に一万余石を領して深溝藩を立てた大名で、寛永15年(1638)に島原の乱の鎮圧にあたり、原城攻めで戦死した人物でした。三河出身の自分としては、同郷の名をここ東京で見いだしたことに、少し遅れて密かな縁を感じます。江戸の政治や軍事の中枢に関わった家柄の菩提寺が、時を経て中野の寺町に根付いている——そんな歴史の連続性と偶然性を、静かな墓所の前で思いました。 宝泉寺は奥州中村の相馬家や備中庭瀬の板倉家の菩提寺でもあり、境内にはそれぞれの石碑が丁寧に守られています。明治期に現在地へ移ったのちも、地域の年中行事や坐禅会が続けられていることを知ると、寺が単なる史跡ではなく、まちの日常に息づく場であることを実感します。寺町を歩く楽しさは、この生活と歴史が自然に重なって見える瞬間にあるのだと思います。 あの日は、知らない名前に足を止め、帰宅後に少し本や資料を開いただけの小さな寄り道でした。それでも、深溝藩のこと、島原の乱のこと、そして江戸から中野へと移ってきた寺々のこと——いくつもの扉が次々に開いていきました。遠くへ行けない時間だからこそ、歩幅ひとつぶんの範囲に眠る歴史の厚みを確かめられた気がします。寺町の路地を抜けて振り返ると、夏の陽に石塔の影が長く伸び、見慣れたはずの中野の風景が、少しだけ重層的に見えました。 旅程 (...

大宮八幡宮:杜に満ちる静けさ、コロナ禍の参拝

都心とは思えないほど緑の濃い杜に包まれた大宮八幡宮へ足を運びました。参道は幅が広く、両脇の木々が真夏の光をやわらげてくれます。鳥居をくぐると空気がひんやり変わり、「東京のへそ」とも呼ばれるこの地の静けさが、歩みをゆっくりにしてくれました。境内が広いことでも知られる神社で、23区内では有数の規模だと実感します。 この日は、コロナ禍の「疫病退散」を願うのぼりがはためき、社殿前には茅の輪に倣った「笹の輪」が据えられていました。古来の大祓の作法にならい、「蘇民将来の子孫也」と唱えながら輪をくぐって厄を祓う趣旨で、境内産の笹竹で奉製されたものだそうです。折しも夏—人びとの健康を思う祈りが、青い葉音に重なって聞こえるようでした。 参拝を済ませてから境内を歩くと、由緒の案内に足が止まります。創建は康平6年(1063)。前九年の役に際し、源頼義がこの地で八幡神の加護を覚えて戦勝を祈願し、凱旋後に石清水八幡宮から御分霊を勧請して社を構えたのが始まりと伝わります。以後、関東の武士からの崇敬も厚く、例祭は毎年9月15日に営まれてきました。 ご祭神は八幡大神(応神天皇)と、その父である仲哀天皇、母の神功皇后の「親子三神」。この母子の結びつきから、ここは「子育て・安産・縁結び」の社として知られ、戌の日には安産祈願を受けに多くの方が訪れます。境内の案内にも「子育て厄除け八幡さま」の呼び名が掲げられており、日常の願いを静かに受け止めてくれる場所であることが伝わってきます。 社殿や門、清らかな手水舎を順に眺めながら、木陰の濃淡と遠くの太鼓の音に耳を澄ませました。疫病退散の願いが全国に満ちていたあの夏、笹の輪をくぐり、静かに手を合わせたひとときは、長く心に残る参拝となりました。 旅程 桜上水駅 ↓(徒歩) 下高井戸おおぞら公園 ↓(徒歩) 大宮八幡宮 ↓(徒歩) 桜上水駅 関連イベント 周辺のスポット 杉並区立郷土博物館 地域の名物 関連スポット リンク 大宮八幡宮 - 大宮八幡宮 大宮八幡宮 - 東京都神社庁