鹿児島県霧島市にある待世神社(まつせじんじゃ)の跡地を訪れました。この日は朝からタクシーを借り切って霧島を観光しており、上野原縄文の森などを巡ったあと、霧島神宮へ向かう途中で立ち寄りました。
待世神社跡地は、現在の霧島神宮そのものと比べると、とても静かで小さな場所でした。目に入ったのは、小さな朱色の鳥居と、同じく朱色の祠のような社殿です。大きな境内や華やかな建築があるわけではありませんが、かえって「ここにかつて重要な祭祀の場があったのか」と思うと、不思議な重みを感じる場所でした。
霧島神宮は、社伝によると6世紀中ごろに高千穂峰と御鉢の間にある背門丘に社殿が建てられたことに始まるとされています。その後、霧島山の噴火によって社殿が焼失し、10世紀中ごろには性空上人によって高千穂河原周辺の瀬多尾越に再興されました。しかし、そこも再び噴火の被害を受け、霧島田口の待世へ移ったとされています。霧島市の文化財解説でも、霧島神宮が噴火による焼失を経て、待世に移ったことが紹介されています。
つまり、この小さな跡地は、単なる道中の小祠ではなく、現在の霧島神宮へつながる歴史の中継点のような場所でした。文暦元年、1234年の大噴火の後、待世の地に仮宮が置かれ、約250年にわたって祀られていたとも伝えられています。その後、文明16年、1484年に島津氏によって現在の場所に霧島神宮が再興されました。
この流れを知ると、霧島神宮の歴史は、ただ一つの場所に固定された歴史ではなく、霧島山の噴火とともに場所を移しながら続いてきた信仰の歴史だったことが分かります。山そのものを神聖な存在として仰ぎながらも、自然の力によって社殿を失い、そのたびに人々が祀る場所を整え直してきたことに、霧島らしい信仰のあり方を感じました。
このあと向かった霧島神宮は、現在では国宝にも指定される壮麗な社殿で知られています。現在の社殿は、正徳5年、1715年に薩摩藩主の島津吉貴によって寄進されたものとされ、傾斜地に築かれた石垣の上に、本殿、幣殿、拝殿などが重なるように並ぶ荘厳な景観を見せています。
その大きな神宮へ向かう前に、待世神社跡地のような静かな場所を訪れたことで、霧島神宮を単なる有名な神社としてではなく、噴火、遷座、再興を重ねてきた信仰の歴史として見ることができました。小さな朱色の鳥居と祠だけが残るような場所でしたが、そこには現在の霧島神宮へ続く長い時間の一部が確かに刻まれているように感じました。
旅程
(略)
↓(タクシー)
坂元のくろず「壺畑」
↓(タクシー)
↓(タクシー)
国分上野原テクノパーク
↓(タクシー)
↓(タクシー)
↓(タクシー)
↓(タクシー)
足湯の駅 えびの高原
↓(タクシー)
↓(タクシー)
↓(タクシー)
↓(タクシー)
鹿児島空港
地域の名物
- かるかん
- 豚骨料理
コメント
コメントを投稿