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予科練平和記念館:白い零戦を追う旅の終着点

先日、白い零戦を求めて鹿児島県の知覧を訪れました。しかし、知覧特攻平和会館に展示されていたのは海から引き揚げられた零戦で、探していた白い零戦とは異なるものでした。その後、ChatGPTで調べてみたところ、茨城県稲敷郡阿見町の予科練平和記念館に白い零戦の実物大模型があることが分かりました。

知覧まで行った後だったので、「案外近くにあったんだな」と驚きましたが、さっそく阿見町へ向かうことにしました。

予科練平和記念館の敷地に入ると、野外には人間魚雷「回天」の実物大模型が展示されていました。回天は、搭乗員が内部に乗り込んで敵艦に体当たりする特攻兵器です。その大きさを実物大の模型で見ると、兵器としての構造だけでなく、この狭い機体に人間が乗り込んだという事実を強く意識させられます。

回天の近くでは、インドネシアから来た若い人たちの集団に写真を撮ってほしいと頼まれました。写真を撮りながら、「この前、バリ島に行ったよ」などと少し話をしました。日本は戦時中にインドネシアを占領したため、日本人に対して複雑な感情を持っていても不思議ではありません。しかし、彼らは当時の日本の技術に興味があると話していました。

もちろん、短い会話だけで本心まで分かるわけではありません。それでも、戦争に関する施設で、かつて日本軍が進出した国から来た若者たちと、普通に写真を撮り合い、旅行の話ができたことには、不思議な感慨がありました。

阿見町は、かつて海軍航空と深い関係を持った町です。大正時代に霞ヶ浦海軍航空隊が置かれ、1939年には海軍飛行予科練習部が横須賀から移転しました。翌1940年には、予科練教育を専門に行う土浦海軍航空隊が設置され、阿見は予科練教育の中心地となりました。予科練は、若い段階から航空機搭乗員を育てるため、1930年に始まった制度です。全国から試験で選抜された少年たちは、厳しい教育と訓練を受け、やがて多くが戦地へ送られました。

館内の常設展示は、予科練習生の入隊から訓練、日常生活、戦局の悪化、特攻へと、時間の流れに沿って構成されていました。予科練の制服を象徴する「七つボタン」にちなみ、展示も七つのテーマに分けられています。

入隊試験の問題も展示されていました。幾何学や数学など、現在の学校の試験にもありそうな問題が並んでおり、予科練が単に体力のある少年を集めた場所ではなく、航空機を扱うために必要な学力や適性を持つ人材を選抜していたことが分かります。

戦争が本格化する前に書かれた手紙からは、予科練への入隊を将来の進路として前向きに捉えていた少年の姿も読み取れました。給料が支給され、卒業後の収入や昇進も期待できるため、当時の少年たちにとっては有力な進学先、あるいは就職先のような一面もあったのでしょう。

現代から見ると、予科練には戦争や特攻の印象が強くあります。しかし、入隊した時点ですべての少年が死を覚悟していたわけではありません。航空機への憧れを持っていた人、家族を経済的に支えようとした人、将来性のある仕事に就きたいと考えた人など、さまざまな動機があったことが手紙から伝わってきました。

日本がまだ戦争で大きく追い詰められる前の手紙には、少年らしい明るさや、将来への期待も感じられました。一方で、親の手紙からは、戦争がいつ起きてもおかしくない時代に息子を軍へ送り出す不安も読み取れました。

展示を進むにつれて、手紙の内容は次第に重くなっていきました。戦争が長期化し、終戦に近づくにつれて、死を覚悟したような言葉が増えていきます。もちろん、これは博物館の展示として、時代の変化が伝わるように意図的に資料を選び、並べた結果でもあるでしょう。しかし、戦況の悪化とともに、少年たちの将来への期待が失われていったことも事実なのだと思います。

館内には、当時の教室や兵舎、食堂などを再現したコーナーもありました。手紙や支給品を見るだけでなく、少年たちがどのような場所で学び、食事をし、生活していたのかを空間として想像できます。戦争体験者の証言映像を見るコーナーもあり、展示資料だけでは伝わりにくい当時の空気が、本人の言葉によって語られていました。

途中には、白い練習機、黄色い練習機、緑色の機体についての説明がありました。天井には黄色い練習機の模型がつるされていましたが、探していた白い零戦らしいものは見当たりませんでした。「白い零戦は、今回も見つからないのかな」と思いながら、そのまま展示や映像を見続けました。

常設展を見終えた後は、平和祈念交流展「マンガ『凍りの掌』の世界 娘が描く父のシベリア抑留記」を見学しました。この交流展は、以前訪れた「帰還者たちの記憶ミュージアム」と予科練平和記念館によるもので、漫画家のおざわゆきさんが父親の体験を基に描いた『凍りの掌』を通して、シベリア抑留の実態を伝える内容でした。

漫画が制作された経緯や、作品の中で描かれた収容所での生活、強制労働、寒さや飢えなどについて紹介されていました。軍人として戦地に向かった人々の歴史だけでなく、終戦後にも長い苦難が続いた人々がいたことを考えさせられます。

展示を見終えると、広いホールでおざわゆきさんのトークイベントが行われると案内されていました。開始までは少し時間があったため、先に隣の雄翔館へ向かうことにしました。

ところが、館外の敷地を歩いていると、予科練平和記念館の隣にある建物の中に、探していた白い零戦の実物大模型が展示されていました。

常設展示の途中で「今回も違ったのかな」と思っていたので、最後になって突然目的の機体を見つけたような気分でした。知覧まで足を運び、阿見でも館内を一通り見終えた後だっただけに、ようやくたどり着いたという感覚がありました。

展示されていたのは、零式艦上戦闘機二一型の実物大模型です。「二一型」は「にじゅういちがた」ではなく、「にいいちがた」と読みます。説明パネルによると、最初の数字は機体の改修段階、次の数字はエンジンの改修段階を示します。一一型に続く二一型では、航空母艦で運用できるように、主翼の先端を折り畳める構造などが採用されました。

ようやく白い零戦を見ることができましたが、単に探していた模型を発見したというだけではありませんでした。

白い零戦を探し始めたことがきっかけで知覧を訪れ、特攻隊員の手紙や戦争遺跡を見ました。さらに阿見では、戦争が始まる前に希望を持って予科練へ入った少年たちが、戦況の悪化によって次第に死へと追い詰められていく過程を学びました。目的の機体を探す旅は長くなりましたが、その間に、戦争について多くのことを知ることができました。

雄翔館を見学した後は、予科練平和記念館へ戻り、おざわゆきさんのトークイベントを聞きました。

特に印象に残ったのは、実の父親からシベリア抑留の体験を聞き出すことの難しさです。父親は抑留生活について話してくれたものの、仲間たちに関することはあまり語らなかったそうです。おざわさんも、無理にその部分へ踏み込むことはせず、資料を調べながら想像で補った部分があると話していました。

作品を描く際には、体験を必要以上に誇張しないよう注意したそうです。現在よりもシベリア抑留に関する資料が少ない時期だったため、事実を確認しながら作品として再構成する作業にも苦労があったようです。

その一方で、作品が賞を受け、ちばてつやさんから賞状を渡されたときの話になると、おざわさんが本当にうれしそうに当時を振り返っていたことも印象に残りました。重い歴史を扱った作品ですが、それを漫画として完成させ、ご両親や多くの人に届けたことへの喜びも伝わってきました。

ミュージアムショップでは、『凍りの掌 シベリア抑留記』と『あとかたの街』を購入しました。展示やトークイベントで知ったことを思い出しながら、時間を見つけて読んでみたいと思います。

この後は土浦市立博物館にも行く予定でしたが、猛暑のためか、予想以上に疲労がたまっていました。無理に予定を続けず、この日は帰ることにしました。土浦や阿見の周辺には、海軍航空に関する場所だけでなく、多くの史跡や博物館があります。今回見ることができなかった場所も含め、改めてゆっくり訪れたいと思います。

旅程

東京

↓(JR/バス)

阿見坂下バス停

↓(徒歩)

予科練平和記念館

↓(徒歩)

雄翔館

↓(徒歩)

阿見坂下バス停

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