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三島スカイウォーク:富士山を望む朝、箱根へ向かう旅のはじまり

2023年2月26日に、静岡県三島市の三島スカイウォークに行きました。この日は三島駅から三島スカイウォーク、山中城跡、箱根関所、小田原城と巡る予定を立てており、その最初の目的地として朝一番に訪れました。歴史の史跡を中心に回る一日の始まりとしては少し意外な場所にも思えますが、これから向かう箱根や小田原の歴史を思うと、その入口にふさわしい場所でもありました。

三島駅からバスで向かい、9時ごろに到着しましたが、すでにかなりの人が並んでいました。休日の朝からこれだけ人が集まっているのを見ると、この地域で人気の高い観光地なのだと実感します。歴史的な遺構や博物館を見に行くときは比較的静かな場所が多いので、こうしたにぎわいには少し新鮮な気持ちになりました。入口付近の展望台から外を見ると、そこには期待していた以上に美しい富士山がありました。晴天に恵まれ、空には雲ひとつなく、富士山の姿がくっきりと浮かび上がっていました。やはり富士山は、見えるだけでその日の印象を決定づける特別な存在だと感じます。

三島という土地は、古くから交通の要衝として知られてきました。三島宿は東海道の宿場町として栄え、江戸と京都を結ぶ人々が行き交った場所です。さらに少し先には箱根があり、関所が置かれたことで、政治的にも軍事的にも重要な地域でした。そう考えると、現代の観光名所である三島スカイウォークも、ただ景色を楽しむだけの場所ではなく、古くから多くの人が通り抜けてきた土地の延長線上にあるように思えます。かつて旅人たちが険しい道を越えながら眺めた富士山を、今は巨大な吊り橋の上から眺めることができるのです。時代は大きく変わっても、この地域の風景の中心に富士山があることは変わらないのだと感じました。

吊り橋のスカイウォークを渡り始めると、正面の先にちょうど富士山が見えました。橋そのものも印象的ですが、その先に富士山があることで、景色全体に強いまとまりが生まれていました。高い場所に架かった長い吊り橋を歩く体験には、それだけで非日常感がありますが、そこに日本を象徴するような山の姿が加わることで、より記憶に残る風景になっていたと思います。橋の上では足元からわずかな揺れも感じられ、ただ景色を見るだけではなく、自分の体でその場を味わっている感覚がありました。近代的な観光施設でありながら、地形の高さや谷の深さを強く意識させられる場所でもあり、箱根西麓の自然の大きさを改めて感じました。

橋を渡った先には、屋台やアスレチックなどがあり、単に吊り橋を往復するだけでは終わらないようになっていました。自然の中で遊んだり食べたりしながら過ごせる場所になっており、多くの人でにぎわっていた理由もよく分かりました。

さらに一段高い場所まで歩いていくと、今度は吊り橋の全体を見渡すことができました。遠くから見ると、先ほど自分が歩いてきた橋が谷を大きくまたぐように伸びており、その規模の大きさがよく分かります。橋の上から見る景色と、少し離れた場所から橋そのものを見る景色では印象がかなり異なり、両方を見ることで三島スカイウォークという場所の面白さがよりはっきりしました。

この地域を歴史の視点から見ると、三島から箱根へ向かう道は、古代から近世まで多くの人々が意識してきた重要なルートでした。東国と西国を結ぶ交通路であり、戦国時代には城や砦が築かれ、江戸時代には宿場や関所が整備されました。これから向かう山中城跡や箱根関所、小田原城も、まさにそうした交通と権力の流れの中にある場所です。その一日の最初に、現代的な観光施設である三島スカイウォークに立っていたことは、少し不思議でありながらも象徴的でした。かつて人々が緊張感をもって行き交った土地を、今は多くの観光客が笑顔で歩いているのです。時代が変われば土地の役割も変わりますが、人を引き寄せる場所であり続けるという点では、この地域の本質は変わっていないのかもしれません。

屋台でソフトクリームを買って食べたのも、旅の始まりとしてよい時間でした。歴史をめぐる旅というと、どうしても展示や遺構を見ることに意識が向きがちですが、こうして景色のよい場所で少し甘いものを食べる時間があると、気持ちに余裕が生まれます。晴れた空の下で富士山を眺めながら過ごすひとときは、それだけで贅沢でした。その後、再び吊り橋を戻り、次の目的地である山中城跡へ向かいました。これから戦国の城、江戸の関所、近世の城下町へと続いていく一日を思うと、その出発点が雄大な景色に満ちた場所だったことは、とても印象的でした。

三島スカイウォークは、最新の観光施設という印象が強い場所ですが、実際に訪れてみると、富士山を望む風景や箱根へ続く地形、三島という交通の結節点としての土地柄など、この地域が長い時間の中で育んできた背景とも自然につながっているように感じました。ただ景色がきれいな場所というだけではなく、これから歴史の舞台を巡っていく旅の導入としても、とてもふさわしい場所だったと思います。富士山の美しさと、人々でにぎわう現代の観光地としての活気、その両方を味わうことができた三島スカイウォークは、この日の旅の始まりを気持ちよく彩ってくれる場所でした。

旅程

東京

↓(新幹線)

三島駅

↓(バス)

三島スカイウォーク

↓(バス)

山中城跡

↓(バス)

箱根峠

↓(徒歩)

箱根関所

↓(バス)

小田原城

↓(徒歩)

小田原市郷土文化館

↓(徒歩)

小田原駅

↓(新幹線)

東京

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