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郡山市歴史情報博物館:常設展:ひと回りで1万年、郡山の歴史が詰まった展示空間

別記事でまとめた「発掘された日本列島2025」展のため、郡山市歴史情報博物館を訪れました。「発掘された日本列島2025」展の後、常設展をじっくり味わいました。

正直に言うと、地方都市の市立博物館なので「落ち着いた良い展示があれば十分」くらいの気持ちで入館しました。ところが、最初の市の紹介映像を見終えた直後、青い光に包まれた通路へと導かれ、いきなり現代的で“魅せる”演出に出会って驚きました。調べてみると、この博物館は2025年3月15日に開館したばかりで、しかも博物館機能に公文書館機能を併せ持つ拠点施設として整備されたとのことです。新しさの理由が、体感としてすぐ腑に落ちました。

常設展のメイン空間は、中央にテーマ展示が据えられ、その周囲を「原始・古代・中世・近世・近現代」と年代ごとの小部屋が取り囲む構成でした。郡山が「交流の歴史」「多様性」「境界性」を軸に地域史像を発信する、という施設趣旨を思い出すと、この“中心に核があり、周囲へ時代が広がっていく”つくり自体が、土地の性格を語っているようにも見えてきます。さらに常設展示は「ものと文化」「みちとまち」といった視点でも読み解けるようで、通史を眺めるだけでは終わらない仕掛けがありました。

中央のテーマ展示には、網目のない縄文土器、二彩浄瓶、安積疏水工事に使われた測量機器のレベルとトランシット、高倉人形、蒔絵神馬図額、小型把手付壺など、郡山と結びついた“顔”のような資料が並んでいました。年代がバラバラなのに散漫にならず、「この土地は、何を受け取り、何を積み上げてきたのか」を一気に見せてくれるのが良かったです。まずここで目が覚めて、自然と周囲の年代展示へ足が向きました。

原始のコーナーは、いきなり情報量が多く、良い意味でこちらの体力を試してきます。縄文土器が早期から晩期まで並び、同じ“土器”でも形や文様が少しずつ変わっていくのを追いかけているだけで時間が溶けました。さらに、熱海町で見つかったナウマンゾウの歯のレプリカが置かれていて、「この地の時間のスケールは、まず人間以前から始まるのか」と感覚を切り替えさせられます。旧石器から弥生へ、石器、土器、編み物、土偶、装飾品と続く流れは、暮らしの細部が積み上がって“社会”になっていく過程そのものでした。そして妙音寺遺跡の土坑断面剥ぎ取り資料が壁一面に広がっているのを見た瞬間、発掘が「物を掘り出す作業」ではなく「土地の記憶を、そのままの層で読む技術」なのだと実感します。このコーナーだけで「もう全部見た気がする」と錯覚したのですが、当然まだ最初の時代でした。

古代に入ると、空気が少し引き締まります。大安場古墳刀、淵の上1号墳刀、孫兵衛堀米遺跡刀のレプリカが並び、武器というより、権威や秩序の気配が前面に出てきます。腕輪や須恵器、鍛冶に使われた金床石、瓦、そして文字が書かれた瓦や土器、木簡などが続くと、「器が洗練され、技術が体系化され、文字が社会に入り込む」転換点がはっきり見えてきました。弥生から古墳、そして律令的な世界へ、郡山周辺の遺跡を手がかりにたどれるのが嬉しいところです。

中世は、入口で宝光寺の板石供養塔婆のレプリカが迎えてくれました。石に刻まれた供養の形式だけでも、信仰と死生観が、日常の中に深く根を下ろしていたことが伝わってきます。展示は武士の時代へと移り、鎌倉期の伊東氏(安積氏)から、戦国期の伊達氏と天文の乱をめぐる伊東氏・田村氏・蘆名氏の関係へとつながっていきます。地図上の勢力図として眺めると、郡山周辺が“境界”として揺れ続けた場所であることが見えて、さきほどの「境界性」という言葉が、展示の中で具体的な実感に変わっていきました。

近世のコーナーは江戸時代で、産業、教育、文化、芸能といった暮らしの厚みが前に出てきます。福良焼や、高倉宿・郡山宿の錦絵など、街道や宿場の匂いがする資料が並ぶと、「みち」と「まち」が互いを育てていく感じがします。さらに幕末の戊辰戦争では東北が主要な舞台となり、郡山周辺の戦いにも触れられていました。大きな歴史の出来事が、地元の地形や道筋の上で起きたこととして立ち上がってくるのが、通史展示の醍醐味だと思います。

近現代は、展示内容が自分のこの日の動線と重なってきて、一気に“自分ごと”になりました。開成社、大槻原開墾、安積疏水といった明治期の事業資料が続き、疏水を基盤とした産業や都市の成長が、具体的な道具や記録として見えてきます。来る前に寄った麓山の飛瀑、そしてこの後に向かう開成館を思い浮かべながら展示を読むと、資料が過去の出来事ではなく、いま歩いている街の骨格そのものに感じられました。

「発掘された日本列島2025」展の図録が売り切れていて、館内では結局何も買わずに出てしまったのですが、展示の濃さを思うと、常設展にも図録やガイドがあるなら手元に置いておきたかったと後から強く思いました。新しい博物館らしい洗練された導入で始まり、原始から近現代までを一気に歩かされ、最後は「郡山という場所が、交流の結節点として積み上げてきたものは何か」という問いを残してくれる。常設展だけでも十分に“旅の目的”になり得る博物館でした。

旅程

東京

↓(新幹線)

郡山駅

↓(徒歩)

麓山公園/安積疏水麓山の飛瀑

↓(徒歩)

郡山市歴史情報博物館:「発掘された日本列島2025」展 / 常設展

↓(徒歩)

郡山公会堂

↓(徒歩)

(略)

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  • 郡山ブラック(ラーメン)

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