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竹神社:斎宮の歴史をたどる旅、最後に出会った静かな社

三重県多気郡明和町にある竹神社(たけじんじゃ)を訪れました。この日は、古代の斎王が暮らした都・斎宮に関係する史跡や博物館を巡ることを目的にこの地域を訪れており、斎宮跡、斎宮歴史博物館、斎王の森、そしてさいくう平安の杜を見学したあと、最後に竹神社へ向かいました。斎宮の歴史をたどって歩いてきた流れの中で、この土地の信仰を伝える神社も見ておきたいと思ったからです。

竹神社は、この地域にあった二十五社の神々を合祀して成立した神社といわれています。古くからこのあたりには多くの小さな社が点在しており、地域の人々の信仰の中心となっていましたが、近代以降の神社整理などの流れの中でそれらが一つにまとめられ、現在の竹神社となりました。祭神には天照大神をはじめ、応神天皇や長白羽神など多くの神々が祀られており、地域の歴史の積み重なりを感じさせます。斎宮の近くという場所柄、伊勢神宮とのつながりも深く、この地域が古代から伊勢神宮の祭祀と密接な関係にあったことを思い起こさせます。

さいくう平安の杜から向かったため、神社には北側の裏手から入る形になりました。少し進むと伊勢神宮の遥拝所があり、ここから遠く離れた伊勢神宮を拝むことができます。斎宮はもともと伊勢神宮に仕える斎王の居所でしたから、このような遥拝の場所があるのも自然に感じられます。

その反対側には拝殿があり、さらに奥には本殿が建っていました。このあたりは伊勢神宮の影響が強い土地なので、本殿が神宮の方向を向いているのかと思いましたが、実際には反対の向きになっているように見え、少し不思議に感じました。神社の向きには地形や古い社殿の配置などさまざまな理由があることが多いので、きっとこの場所にも何か由来があるのだろうと思います。

本殿の屋根は茅葺のようにも見えましたが、よく見ると檜皮葺で、先ほど見てきたさいくう平安の杜の正殿とどこか似た雰囲気を感じました。斎宮の歴史を再現した建物を見たあとだったこともあり、古代の宮殿や神社建築の面影を重ねながら参拝しました。境内は静かで落ち着いた空気が流れており、斎宮跡の広い遺跡とはまた違った、地域に根ざした神社らしい雰囲気がありました。

参拝を終えて入口のほうへ戻ると、御祭神の一覧が掲げられていました。二十五社を合祀しているだけあって神々の名前がずらりと並び、地域の信仰の歴史が一つの神社に集められていることがよく分かります。天照大神をはじめ、さまざまな神が並んでいるのを見ると、この土地の人々が長い時間をかけて守ってきた祈りの重みを感じました。

境内の手水には花が飾られており、やわらかな彩りが印象的でした。特に説明は見当たりませんでしたが、花を使ったおみくじも置かれていて、どこか華やかな雰囲気があります。斎宮はかつて「斎王」という皇族の女性が暮らした都でもあり、こうした演出にどこか女性の都らしいやさしさを感じました。

こうして斎宮に関係する史跡を一通り巡り終えると、まだ少し時間に余裕がありました。古代の祭祀都市の面影を感じる一日を過ごし、この地域の歴史の奥深さを改めて実感しました。せっかく三重県まで来ているので、このあとさらに足を延ばして松阪にも向かうことにしました。斎宮から松阪へと続く道もまた、伊勢の歴史を感じさせる土地であり、次はどんな風景や歴史に出会えるのか楽しみにしながら、次の目的地へと向かいました。

旅程

東京

↓(新幹線/JRみえ/近鉄)

斎宮駅

↓(徒歩)

斎宮跡

↓(徒歩)

塚山古墳群

↓(徒歩)

斎宮歴史博物館

↓(徒歩)

斎王の森

↓(徒歩)

さいくう平安の杜

↓(徒歩)

竹神社

↓(徒歩)

斎宮駅

↓(近鉄)

松阪駅

↓(徒歩)

御城番屋敷

↓(徒歩)

(略)

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