三重県松阪市の本居宣長ノ宮に行きました。
この日は朝から斎宮で、博物館や復元された史跡などを見てまわっていました。斎宮は古代の空気を感じられる場所が多く、想像していた以上に見どころがあり、かなり充実した時間を過ごせました。それでも少し時間が余ったため、近くの松阪市にも足を延ばしてみることにしました。地図を見ると松坂城が駅からそれほど遠くない場所にあったので、せっかくなら城下も歩いてみようと思い、松阪へ向かいました。
松坂城へ向かう途中では、御城番屋敷にも立ち寄りました。武家屋敷らしい整った町並みを見ながら歩いていくと、その先に本居宣長ノ宮が見えてきました。本居宣長といえば、松阪を代表する人物の一人ですし、記念館の存在は知っていましたが、「本居宣長ノ宮」という名前はどこか独特で、最初はどういう場所なのか少し不思議に感じました。鳥居が見えたので神社なのだろうと思いましたが、一般的な「○○神社」という名前ではないため、古墳や顕彰施設のように、別の意味で鳥居が置かれているのかもしれないとも思いながら、石段の方へ向かいました。
階段には「合格祈願」や「学問の神様」と書かれた板が置かれていて、そこでようやく、本居宣長その人を祀る場所なのだろうということがはっきりしてきました。石段を上るという行為そのものにも、少しずつ気持ちを整えていくようなところがありますが、学問や祈願に関する言葉を見ながら上っていくと、ここが単なる観光地ではなく、今も信仰の場として生きていることが伝わってきます。城跡へ向かう途中でふと見つけた場所でしたが、思いがけず、松阪の文化や精神の一端に触れられる場所に出会えた気がしました。
階段を上りきった先には本殿があり、やはり神社でした。静かな境内は落ち着いた空気に包まれており、受験の季節がちょうど終わったころだったからか、ほかに参拝者の姿はありませんでした。本居宣長ノ宮は、江戸時代の国学者である本居宣長を主祭神として祀るお宮で、現在では学問の神様として広く知られています。本居宣長は『古事記伝』で知られる松阪ゆかりの国学者で、日本の古典や言葉を深く読み解いた人物です。こうした人物が神として祀られ、今も合格祈願や学業成就の場として親しまれていることを思うと、学問が単なる知識の集積ではなく、人生を支える大きな営みとして大切にされてきたことが感じられます。
本居宣長ノ宮には、もともと本居宣長が眠る山室山の奥墓のそばに建てられたという歴史があり、当時は「山室山神社」と呼ばれていたそうです。その後、移転を経て、現在は松坂城跡近くの四五百森に落ち着いています。松阪の町を歩いていると、本居宣長記念館や旧宅「鈴屋」など、宣長に関する場所が点在していますが、このお宮もまた、その一つとして松阪の歴史の中にしっかり根を下ろしているのだと分かります。単に偉人を記念するだけでなく、祈りの対象として今に受け継がれているところに、この土地らしい敬意の表し方があるように思いました。
私も参拝したあと、おみくじを引きました。旅先でおみくじを引くと、その場所との距離が少し縮まる気がします。大きな神社のようなにぎわいはありませんでしたが、その分だけ静けさが心地よく、松坂城や御城番屋敷のような歴史的景観の流れの中で、学問と信仰を結ぶ場所に自然に立ち寄れたことが印象に残りました。観光で歩いていると、つい有名な建物や大きな史跡に目が向きがちですが、こうした小さなお宮には、その土地ならではの記憶や価値観がよく表れているように思います。
斎宮から松阪へ移動し、城下町を歩く中で偶然のように出会った本居宣長ノ宮でしたが、振り返ってみると、この日の見学の流れによく合った場所でした。斎宮では古代の祭祀や宮廷文化の痕跡に触れ、松阪では近世の城下町の面影を見ながら、最後に江戸時代の学者を祀る神社に参拝することになりました。時代は違っても、土地の歴史の中には、祈りや学びを大切にする心が連続しているのかもしれません。松阪を歩くなら、松坂城や御城番屋敷だけでなく、本居宣長ノ宮にも立ち寄ってみると、この町の文化の厚みがより感じられると思います。
その後は、隣にある松阪神社へ向かいました。短い立ち寄りではありましたが、本居宣長ノ宮は、旅の途中でふと出会った場所だからこそ、かえって印象深く残りました。予定になかった寄り道が、その土地をより深く知るきっかけになることがありますが、今回もまさにそんな訪問だったように思います。
旅程
東京
↓(新幹線/JRみえ/近鉄)
斎宮駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
塚山古墳群
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
斎宮駅
↓(近鉄)
松阪駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
本居宣長ノ宮
↓(徒歩)
松阪神社
↓(徒歩)
(略)
周辺のスポット
- 本居宣長記念館
- 松坂城跡
- 松阪神社
- 松阪市立歴史民俗資料館
コメント
コメントを投稿