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横浜美術館:「マリー・アントワネット・スタイル」展:革命に散った王妃と、永遠になったスタイル

 神奈川県横浜市の横浜美術館に行きました。今回の目的は、企画展「マリー・アントワネット・スタイル」です。

横浜美術館を訪れるのは今回が初めてでした。建物は戦後日本を代表する建築家・丹下健三の設計で、1989年に正式開館しています。正方形や菱形を思わせる幾何学的な装飾が並ぶ外観は、それ自体がひとつの現代美術作品のようにも見えました。淡い色調の外壁も、この日に開催されていた「マリー・アントワネット・スタイル」の華やかな雰囲気とよく合っているように感じます。

事前に調べたところ、この展覧会は午前中、特に開館直後が混雑するようでした。ただ、人気の展覧会なら時間をずらしてもそれほど変わらないだろうと思い、開館時間に合わせて向かうことにしました。

しかし、到着した時点ですでに約50分待ちの列ができていました。

さらに想定外だったのは、昼過ぎに見学を終えて外へ出ると、ほとんど列がなくなっていたことです。展示室の中も午前中はかなり混雑していたので、結果的には時間帯の選択を完全に間違えてしまいました。


ようやく展示室に入ると、作品の前にも長い列ができていました。すべてをじっくり見るのは難しそうだったため、気になった作品を中心に見て、細かな部分については購入した図録で確認することにしました。


最初のChapter 1は「マリー・アントワネット:スタイルの源泉」です。

マリー・アントワネットは1755年、オーストリアのハプスブルク家に生まれ、1770年にフランス王太子ルイと結婚しました。1774年に夫がルイ16世として即位すると、18歳でフランス王妃となります。政治史ではフランス革命によって処刑された王妃として知られていますが、同時代から現代に至るまで、服飾や室内装飾に大きな影響を与え続けた人物でもあります。


展示では、まず18世紀のさまざまなドレスが目に入りました。「グランダビ(ローブ・ド・クール)」「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」「ローブ・ア・ラングレーズ」「ローブ・ア・ラ・ポロネーズ」という四つのスタイルについても解説されています。

説明を読んでから実物を見比べてみましたが、ファッションについてほとんど知識のない私には、どれも似たものに見えてしまいます。シルエットや背中の構造、スカートの持ち上げ方などに違いがあるのですが、解説なしで種類を当てるのは難しそうでした。

ドレスだけでなく、扇や婚礼用のバスケット、宝飾品なども並んでいました。

特に興味深かったのが、1773年と1777年のマリー・アントワネットの肖像画です。

1773年の肖像では、まだ王太子妃だった彼女が描かれています。豪華な衣装に身を包み気品を感じさせながらも、腕を下ろした姿にはどこか控えめな印象がありました。

それに対して、王妃となった後の1777年の肖像では、腕を広げるような姿勢もあって、より堂々とした雰囲気を感じます。

同じ人物の肖像画を年代順に見比べることで、単に服装の変化を見るだけでなく、王太子妃から王妃へと立場が変わったことまで意識できるのが面白いところです。


宝飾品も多数展示されていました。ネックレスやイヤリング、ブレスレットには大量の宝石が使われています。「マリー・アントワネット旧蔵の天然真珠とダイヤモンドの3連ネックレス」は、その後、娘や一族の女性たちへと受け継がれていったものです。ひとつの宝飾品が王妃の死後も残り、所有者を変えながら歴史を伝えていることにも惹かれました。

扇も印象に残りました。

美しい装飾品ですが、表面には神話などの場面が描かれています。西洋美術史で見てきた絵画と同じように、単に美しいだけではなく、そこには物語や象徴、メッセージがあります。小さな日用品の中にも、当時の人々が共有していた物語の世界が入り込んでいることが分かります。

意外だったのが、日本の漆工芸品です。「楼閣山水蒔絵水注」など、多くの漆製品が展示されていました。

フランス王妃を扱った展覧会で日本の工芸品を見るとは思っていませんでしたが、18世紀ヨーロッパでは東アジアの工芸品が珍重されていました。西洋ファッションを代表する存在として記憶されるマリー・アントワネットの美意識の中に、日本を含む異文化の工芸品も存在していたことは興味深いところです。

さらに、椅子や食器など、王妃が実際に使った、あるいは王妃のためにつくられた品々も展示されています。

どれも宮廷らしく豪華ですが、食器のシリーズには「豊穣」を意味するような名称が付けられていました。椅子や食器といった日用品まで芸術作品のようにつくられており、服だけを見るのでは「マリー・アントワネット・スタイル」を理解できないことが分かってきます。

音楽に関する展示もありました。マリー・アントワネットは音楽を好み、ハープなども演奏しました。展示されていた譜面台も、単に楽譜を置くための道具とは思えないほど装飾的です。磁器のプレートまで組み込まれており、日用品と美術工芸品との境界がほとんどありません。

麦わら帽子もありました。

「麦わら帽子」と聞いて想像する素朴なものとはかなり違い、縁にはきらめく装飾が施され、非常に繊細でファッション性の高いものでした。マリー・アントワネットはヴェルサイユ宮殿の離宮プチ・トリアノン周辺で、宮廷とは異なる「田園的」な生活様式を好みました。

ただし、もちろん本当の農民の生活をしていたわけではありません。宮廷人が洗練された形で楽しむ「田舎趣味」です。その素朴ささえ豪華なファッションへと変えてしまうところに、マリー・アントワネットらしさがあるようにも思いました。


展示が1780年代に入ると、雰囲気が少しずつ変化していきます。

マリー・アントワネットに対する世間の目が厳しくなり、浪費家の王妃というイメージが広がっていった時代です。

その象徴として有名なのが、1785年の「首飾り事件」です。王妃自身は詐欺事件に関与していませんでしたが、高価なダイヤモンドの首飾りをめぐるスキャンダルは人々の王妃に対する反感をさらに強めました。

展示されていたダイヤモンドにも、この事件との関係が指摘されているものがありました。首飾りは事件後に解体されているため完全な形では残っていませんが、華やかな宝石を見ながら、それが王妃の美しさを象徴する一方で、彼女の悪評にも結びついていったことを考えると複雑です。


ここでもマリー・アントワネットの肖像画が展示されていました。

後世の作品をもとに制作された肖像とのことでしたが、豪華な首飾りや衣装とは対照的に、その顔には笑顔がありません。最初に見た若い王太子妃や王妃の肖像に比べると、どこか静かで、自信を失っているようにも見えました。

もちろん絵を制作した時代も異なるため、実際の彼女の心理をそのまま表しているわけではありません。それでも、革命へ向かう展示の流れの中で見ると、どうしても王妃の運命を重ねてしまいます。


そして、「フランス革命で用いられたギロチンの刃」や、斬首後のマリー・アントワネットから型を取ったと伝えられる蝋製胸像の写真まで展示されていました。

1793年10月16日、マリー・アントワネットは革命裁判を経てギロチンで処刑されました。

蝋製胸像はロンドンのマダム・タッソー館で展示されていたもので、その当時のポスターも残されています。以前、東京のマダム・タッソーを訪れたときには、映画俳優や著名人の蝋人形を見る娯楽施設という印象でした。しかし、その起源をたどると、フランス革命で処刑された人物たちのデスマスクや蝋像ともつながっています。

華やかなファッションの展覧会を見ていたはずが、いつの間にかフランス革命と見世物文化の歴史へつながっていたのは意外でした。


Chapter 2は「マリー・アントワネット:追憶と偶像化」です。

ここからは、1793年に亡くなった本人ではなく、「後世の人々がつくったマリー・アントワネット」が中心になります。

特に重要なのが、ナポレオン3世の皇后ウジェニーです。

ウジェニー皇后はマリー・アントワネットに強い関心を持ち、19世紀半ばにはプチ・トリアノンでマリー・アントワネットに関する展覧会を開きました。ウジェニー自身も当時を代表するファッションリーダーで、アントワネットの様式を自らのイメージづくりにも取り入れています。


大きなウジェニー皇后の肖像画や昼用ボディス、多くのドレスなどが展示されていました。

ここを見ながら、マリー・アントワネットが現在まで「歴史的なファッションアイコン」として記憶されているのは、本人だけの力ではないのだと思いました。

アントワネットの死後、ウジェニー皇后をはじめとする人々が彼女のスタイルを復活させ、さらにその次の時代がそれを再解釈していきます。こうして「マリー・アントワネットらしさ」が徐々につくられていったのでしょう。

エドマンド・デュラックによる『雪の女王』の挿絵原画なども展示されていました。マリー・アントワネットのイメージは、おとぎ話に登場する王妃や姫君の表現にも影響を与えていったそうです。

歴史上の人物が、その人物を直接知らない後世の人々によって何度も描き直され、やがて「型」のようなものになる。その過程を見る展示でもありました。


最後のChapter 3は「永遠に新しく―マリー・アントワネット・スタイル」です。

ここまで来ると一気に現代へ近づきます。

ソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』をはじめ、映画衣装や現代のファッションなどが並んでいました。

ここまで大量のドレスを見てきたため、ファッションに詳しくない私でも、パステルカラー、リボン、大きく広がるスカートなどを見ると、なんとなく「マリー・アントワネット風」と感じるようになっていました。

ただ、それらすべてを本人が生み出したわけではありません。18世紀の宮廷文化に存在していたファッション、マリー・アントワネット自身が好んだもの、そして19世紀以降に「アントワネットらしい」と再解釈されたものが重なり合い、現在の「マリー・アントワネット・スタイル」ができあがっているのでしょう。

今回の展覧会を見る前は、マリー・アントワネットといえば、フランス革命で処刑された王妃という歴史上の人物としての印象が強くありました。

しかし展示を見終えると、その印象はかなり変わりました。

ファッションの細かな違いまでは分かりませんでしたが、ドレス、宝飾品、扇、漆器、家具、食器といったものを通して、一人の王妃が持っていた美意識を見ることができます。そして彼女の死後には、ウジェニー皇后をはじめとする人々がそのイメージを復活させ、さらに絵本、舞台、映画、現代ファッションへと受け継いできました。

マリー・アントワネットという人物が250年以上にわたって人々を魅了しているのは、単に豪華な衣装を着ていたからではないのでしょう。

若く華やかな王妃であり、同時に激しい批判を受け、最後には革命によって処刑されたという劇的な人生があります。その華やかさと悲劇が結びついたからこそ、後世の人々は何度も彼女を描き直し、そのたびに新しい「マリー・アントワネット」をつくり続けてきたのかもしれません。

「マリー・アントワネット・スタイル」という言葉は、18世紀に存在した一つのファッション様式を指すだけではなく、250年以上にわたって更新され続けてきた文化的なイメージそのものなのだと感じる展覧会でした。

この後は、同じチケットで観覧できる横浜美術館のコレクション展にも向かいました。こちらもかなりの作品数があり、「マリー・アントワネット・スタイル」とはまったく違った見どころが多かったので、別の記事でまとめたいと思います。

旅程

東京

↓(東京メトロ副都心線/みなとみらい線)

みなとみらい駅

↓(徒歩)

横浜美術館(「マリー・アントワネット・スタイル」展 / コレクション展)

↓(徒歩)

みなとみらい駅

↓(みなとみらい線)

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横浜都市発展記念館

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横浜ユーラシア文化館

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日本大通り駅

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