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東京国立博物館:法隆寺宝物館:奈良へ行く前に、東京で古代美術の予習



東京都台東区の東京国立博物館・法隆寺宝物館に行きました。

この日は国立科学博物館の特別展「いきもの超ワールド展」を見た後、そのまま東京国立博物館へ向かいました。東京国立博物館には特別展のたびによく来ていますが、この日はちょうど大きな特別展がない時期でした。本館、法隆寺宝物館、東洋館、平成館には以前にも入ったことがありますが、そのときはかなり駆け足で見ています。今回は事前に見所を調べ、常設展示をきちんと見てみることにしました。

まず向かったのは法隆寺宝物館です。来週10月3日に奈良の法隆寺へ行く予定なので、その予習も兼ねています。

法隆寺宝物館に収蔵されている「法隆寺献納宝物」は、明治11年(1878年)に法隆寺から皇室へ献納され、戦後に国へ移管された300件あまりの文化財です。正倉院宝物が主として8世紀の作品なのに対し、こちらには7世紀の作品が多く含まれているのが大きな特徴です。つまり、飛鳥時代の美術をまとまって見ることのできる、非常に貴重な場所でもあります。

それでも、奈良の法隆寺から遠く離れた東京にこれほど多くの宝物があることには、少し考えさせられます。寺院に残っていれば建築や信仰空間と一緒に見ることができますが、博物館にあるからこそ良好な環境で保存され、東京でこれだけまとまって見ることもできます。来週実際の法隆寺を見ることで、この印象もまた変わるかもしれません。

建物は、中に日本最古クラスの文化財が収められているとは思えないほどモダンです。以前来たときには少し違和感を覚えましたが、入口のホールで海外から来たらしい人たちが外に向かって写真を撮っていました。自分も同じ方向を見てみると、水面に木々が映り、その向こうに黒門が見えました。建物だけを見ると現代建築ですが、周囲の景色まで含めると、意外に「和」の雰囲気があります。

第1室には国宝の「灌頂幡(かんじょうばん)」が展示されていました。薄い金色の布のようにも見えましたが、実際には金銅製です。仏像や天人、唐草文などを残すように金属板を細かく透かし彫りにしており、まるで巨大な金属の切り絵のようでした。

近くには制作当初の姿を示した展示もあり、現在残っている断片だけでは分かりにくい、本来の吊り下げられた姿を想像できます。


第2室には、金銅仏、光背、押出仏が並んでいました。

ここで特に印象に残ったのは、「飛鳥時代の仏像」と一言でまとめても、実際には驚くほど姿が違うことでした。最近、日本美術史の勉強でアルカイックスマイルという言葉を覚えたので、うっすらと微笑んでいる像を見ると「これがそうか」と知識を結び付けたくなります。しかし、笑っていない像もあり、細長い像もあれば、ずんぐりとした像もあります。

教科書では、どうしても一つの時代を代表する特徴を取り出して説明します。しかし、実物を何十体も並べて見ると、その時代にもさまざまな造形が存在していたことが分かります。「飛鳥時代の仏像はこういうもの」と覚えるだけでは足りないということを、実物から教えられた気がしました。

朝鮮半島で制作されたとされる像もあり、細い目、大きく見える鼻、長く伸びた腕など、周囲の像とはかなり違った印象でした。ただ、一体を見ただけで朝鮮半島の仏像全体の特徴と考えることはできません。むしろ、中国や朝鮮半島からさまざまな様式が伝わり、日本でもそれを受け入れながら多様な仏像が作られていった時代だった、と考える方がよさそうです。

押出仏にも多くの種類がありました。正面をまっすぐ向いた菩薩もあれば、脇侍のように体を斜めにしたものもあります。阿弥陀三尊像の間に顔だけが浮かんでいるように見える作品もありましたが、説明には「阿弥陀三尊および僧形像」とありました。三尊のすぐ近くに僧形を配置する構図は、現代の感覚からすると少し不思議です。


第3室は伎楽面です。作品保護のため、現在は金曜日と土曜日だけ公開されています。伎楽は飛鳥時代に大陸から伝わった仮面芸能で、奈良時代には寺院などで演じられましたが、その後衰退してしまいました。法隆寺伝来の伎楽面には、現存する中でも特に古い飛鳥時代の作品が含まれています。

長い鼻を持つ面がいくつもあり、最初に「天狗はこの時代にもういたのだろうか」と思いました。実際、展示されている「治道」という伎楽面は、東京国立博物館自身も「天狗の源流?」と紹介しています。高い鼻を持つ異国人の姿が、後世の長鼻の天狗像に影響した可能性が指摘されていますが、伎楽そのものについて分からない部分も多く、単純に「これは天狗」と考えるものではないようです。

力士、女性、子どもなど役柄もさまざまでした。クスノキ製の面と乾漆製の面があり、日本美術史で学んだ素材や技法の変化も思い出しました。能面のように顔の前だけを覆うというより、頭部全体を包むような立体的な造形なのも特徴的です。


第4室では木工や漆工が展示されていました。12世紀の「鳳凰円文螺鈿唐櫃」では、鳥や植物のような模様が光っていました。螺鈿は貝殻の内側を薄く加工してはめ込む技法です。貝殻が、何百年も残る装飾になるというのも面白いところです。


第5室は金工で、鏡、仏具、鋺、水瓶、匙など、古代の生活や仏教儀礼に使われたさまざまな金属器を見ることができました。

海獣葡萄鏡は、一見すると古墳時代の鏡とそれほど変わらないようにも見えました。しかし、海獣葡萄鏡は中国の唐時代、7世紀から8世紀に盛んに作られた鏡で、日本にも多く輸入され、それを模倣した鏡も作られました。古代から同じデザインがそのまま続いたというより、中国の鏡文化そのものが時代とともに変化し、その新しい様式が日本へ入ってきたと考える方が近いようです。

葡萄の一粒一粒や動物の毛並み、鳥の羽根まで細かく表現されており、離れて見た印象と近づいて見た印象がかなり違います。


第6室は絵画、書跡、染織です。

白氈(はくせん)は、最初はただの白い布のように見えました。日本語の「白氈」だけでは何なのか分かりませんでしたが、英語を見ると「White Rug」とあり、素材には「wool」と書かれていました。羊毛で作られた奈良時代の座具です。

千年以上前の日本に羊毛の敷物が存在していたことを考えると、それだけでも当時の大陸との交流を想像したくなります。日本語の難しい文化財名称より英語表記の方が一瞬で用途が分かったのも、少し面白い経験でした。

裂も数多く展示されていました。細かな文様だけでなく、欠けた布片を本来の模様が分かるように配置して展示していることにも目が向きました。文化財を見るというと完成品ばかりに注目しがちですが、残された断片から元の姿を復元していくことも博物館の重要な仕事なのだと分かります。


これで全室見たと思い、出口へ向かおうとすると、「デジタル法隆寺宝物館」という体験型の展示室がありました。

ここで特に印象が変わったのが伎楽面でした。第3室に並ぶ実物は木肌が目立ち、どうしても古びた文化財として見てしまいます。しかし、現存資料をもとに色彩を復元した伎楽面や装束を見ると、非常に鮮やかです。もともとの伎楽は、現在展示ケースの中で見る静かな仮面とはまったく違い、派手な色の仮面と衣装を身につけた人々が動き回る芸能だったのでしょう。復元を見ることで、遺物が突然「使われていた物」に戻ったように感じました。


今回、特に面白かったのは、勉強してから見ることで知識と実物が結び付く一方、その知識だけでは説明できないものが次々に出てきたことでした。

飛鳥時代の仏像ならアルカイックスマイル、飛鳥から奈良時代ならクスノキから乾漆へ、といった大きな流れを覚えることはできます。しかし、実際の作品はそれほど単純ではありません。同じ時代にも違う顔、違う体形、違う技法があります。美術史で学ぶ「時代の特徴」は、実物を見るための答えではなく、むしろ観察を始めるための手掛かりなのだと思いました。

一つ一つの仏像や工芸品を丁寧に見るのは想像以上に疲れました。それでも時計を見ると、まだ昼前でした。

少し休憩したあと、次は本館へ向かいました。来週には、ここで見た宝物がもともと伝わった奈良の法隆寺を訪れます。東京で古代の作品そのものを見てから、その作品が生まれ、守られてきた場所を見ることになります。今回の法隆寺宝物館は、そのためのかなり濃い予習になりました。

旅程

鶯谷駅

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国立科学博物館

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東京国立博物館:法隆寺宝物館

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