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中華民国総統府:台北の街にそびえる赤レンガの塔

台湾・台北の中華民国総統府に行きました。

当時は台湾に住んでおり、この日は雲仙楽園などを巡った後、台北中心部の二二八和平公園周辺へ移動して散策しました。その途中で立ち寄ったのが、中華民国総統府です。

総統府は赤レンガ色の外壁に白い装飾が組み合わされた大きな西洋風建築で、建物の中央にはひときわ高い塔がそびえています。横方向に長く伸びた建物の中央から塔が立ち上がる姿や、赤と白を組み合わせた外観を見ていると、どことなく東京駅にも似ているように感じました。

この建物は、もともと日本統治時代の台湾総督府として建設されたものです。1906年から1907年にかけて設計競技が行われ、長野宇平治の案をもとに森山松之助が設計をまとめ、1912年に着工、1919年に完成しました。中央塔は約60メートルあり、当時の台湾では最も高い建築物でした。もともとの計画では6階建ての塔でしたが、統治機関としての威厳を強調するため11階建てへ変更されたそうです。

建築様式は後期ルネサンス様式を基調としており、柱や破風、アーチ窓など西洋古典建築の要素が数多く使われています。外壁には赤レンガと灰白色の装飾が交互に配されており、この赤と白の組み合わせが建物の大きな特徴になっています。 東京駅も同じ時代の日本で建てられた赤レンガを印象的に用いた洋風建築なので、当時「なんとなく東京駅に似ている」と感じたのも、まったく的外れではなかったようです。

第二次世界大戦末期には空襲を受け、建物の一部が大きく損傷しましたが、戦後に修復されました。その後は中華民国政府の重要な施設となり、1950年以降は総統府として使用されています。1998年には国定古蹟に指定されました。

訪れたときは「中を見学できるのだろうか」と思いながらも、特に調べていなかったため外から眺めるだけにしました。実際には、陳水扁政権が発足した2000年から平日の一般見学が行われていました。 ただし、この日、2006年3月26日は日曜日だったので、少なくとも通常の平日見学の対象日ではありませんでした。

台湾に住んでいた当時は、台北の中心にある大きな官庁建築という印象で眺めていましたが、あらためて歴史を振り返ると、日本統治時代の台湾総督府から現在の総統府まで、100年以上にわたって台湾の政治の中心であり続けてきた建物です。

しばらく赤レンガの建物と高い中央塔を眺めた後、すぐ近くにある二二八和平公園へ向かいました。

旅程

(略)

↓(徒歩)

烏来瀑布

↓(ロープウェイ)

雲仙楽園

↓(ロープウェイ)

新北市烏来泰雅民族博物館

↓(徒歩)

(略)

↓(徒歩)

台北霞海城隍廟

↓(徒歩)

迪化街

↓(徒歩)

中華民国総統府

↓(徒歩)

二二八和平公園

↓(徒歩)

台北駅

↓(地下鉄)

忠孝復興駅

↓(徒歩)

ホテル

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