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サンタ・クルス・ド・カステロ教区教会:古い祭壇画と木彫のキリスト像

ポルトガルの首都リスボンにあるサンタ・クルス・ド・カステロ教区教会を訪れました。

リスボン観光の2日目で、この日は朝から市内のさまざまな史跡を巡っていました。サン・ジョルジェ城を見学した後、坂道を下りながらリスボン大聖堂へ向かう途中で、この教会に立ち寄りました。

サンタ・クルス・ド・カステロ教区教会は、サン・ジョルジェ城に隣接する古い市街地にあります。現在見られる建物は18世紀のものですが、その起源は中世にまでさかのぼります。

伝承によると、1147年にポルトガル初代国王アフォンソ・エンリケスがイスラム勢力からリスボンを奪還した後、城内にあったモスクがキリスト教の教会として清められ、聖十字架を意味する「サンタ・クルス」の名が与えられました。教会には、アフォンソ・エンリケスがもたらしたと伝えられる聖十字架の聖遺物も保存されています。

しかし、中世以来の建物は、1755年11月1日に発生したリスボン大地震によって大きな被害を受けました。この地震は市内の教会や宮殿、住宅を広範囲に破壊し、火災や津波も引き起こしたリスボン史上最大級の災害です。教会はその後、建築家ジョアン・パウロの設計によって再建され、現在の外観には大地震後のリスボンで広まったポンバル様式の特徴が見られるとされています。

実際に教会の前に立ってみると、外観は比較的簡素で、そこまで古い建物には見えませんでした。リスボンには装飾の豊かな教会も多いため、知らずに通り過ぎてしまいそうな落ち着いた姿です。しかし、その場所には12世紀以来の長い信仰の歴史が重なっています。

中に入って特に印象に残ったのは、祭壇の上部から天井にかけて見られた木造の部分です。教会の壁や床には石や漆喰が多く用いられていますが、身廊の天井は木材で覆われ、主祭壇の祭壇衝立にも木彫が使われています。

私が見たときには、木材の色合いがそのまま残っているように感じられ、中央に置かれたキリスト像も木造に見えました。ヨーロッパの石造教会という先入観を持っていたため、祭壇周辺に広がる木の温もりは意外なものでした。木を主要な建築材料としてきた日本の寺院や教会にも、どこか通じる雰囲気があります。

左右の壁には、装飾された枠や祭壇の中に、さまざまな聖人の像が置かれていました。聖職者のような服装をした像だけでなく、鎧を身に着けた軍人のような像もあります。

この教会は、サン・ジョルジェ城の名前の由来でもある聖ゲオルギウス、ポルトガル語でサン・ジョルジェへの信仰とも深く結びついています。聖ゲオルギウスは竜を退治した騎士の姿で表されることが多く、リスボンをイスラム勢力から奪還した戦いの守護聖人としても信仰されました。教会には、聖ゲオルギウスに捧げられた祭壇衝立も設けられています。

主祭壇に掲げられていた絵は、全体的に色が薄く、黒ずんでいるように見えました。長い年月のなかで煙や埃の影響を受けたのかもしれません。鮮やかさよりも、何世代もの人々が同じ場所で祈りを捧げてきた時間の積み重なりを感じさせる絵でした。

サン・ジョルジェ城やリスボン大聖堂のような有名な観光地に比べると、小さく静かな教会です。しかし、イスラム統治時代のモスクから始まり、リスボンの征服、大地震による破壊と再建を経験してきた歴史を知ると、この教会が城下町の歩みを見守り続けてきた場所であることが分かります。

短い見学を終えた後、再び坂道を下り、次の目的地であるリスボン大聖堂へ向かいました。何気なく立ち寄った教会でしたが、石造建築の中に残る木の色と、少し黒ずんだ祭壇画の静かな佇まいが印象に残りました。

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