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グッダーハム・ビル:トロントの街角に立つ赤煉瓦のフラットアイアン

カナダ・トロントのグッダーハム・ビルを訪れました。

トロント観光の2日目で、この日は朝からトロント旧市役所やセント・ジェームズ教会など、市街地に残る歴史的な建物を見て回っていました。その流れで旧市街を歩き、フロント・ストリートとウェリントン・ストリートが交わる場所に建つグッダーハム・ビルへ向かいました。

ビルは遠くからでもすぐに分かりました。赤煉瓦に覆われた古そうな建物で、正面に近づくほど幅が細くなり、横から見ると驚くほど薄く見えます。東京のように土地が限られた都市では、ときどき三角形や細長い敷地を利用した建物を見かけますが、土地の広い北米にもこのようなビルがあるのだなと思いながら眺めました。

もっとも、この独特な形は、単に土地を節約するために考えられたものではありません。トロント中心部の碁盤目状の道路に対して、フロント・ストリートがかつてのオンタリオ湖岸に沿うように延びているため、二つの道路の間に三角形の土地が生まれました。グッダーハム・ビルは、その土地の形を生かして建てられた建築物です。

ビルの下には説明用のパネルがあり、「Gooderham “Flatiron” Building」と書かれていました。「フラットアイアン」とは、かつて使われていた平たいアイロンを意味し、先端の細くなった建物の形がアイロンに似ていることから付けられた呼び名です。

グッダーハム・ビルは、実業家ジョージ・グッダーハムの依頼を受け、建築家デイヴィッド・ロバーツ・ジュニアの設計によって1892年に完成しました。グッダーハム家は、19世紀のトロントで製粉業や蒸留酒製造業を発展させた一族です。グッダーハム・アンド・ウォーツ社はカナダ有数の蒸留酒メーカーへ成長し、この建物は、その会社の事務所として使われました。

現在「フラットアイアン・ビル」と聞くと、ニューヨークにある高層建築を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、ニューヨークの建物が完成したのは1902年で、トロントのグッダーハム・ビルのほうが約10年早く建てられています。高さではニューヨークの建物に及びませんが、赤煉瓦の外壁や急勾配の屋根、先端部に設けられた小塔などによって、19世紀末らしい重厚な姿を見せています。

バークジー・パーク側へ回ると、正面とはまったく違う表情が現れました。建物の広い壁面に、巨大な布や紙がめくれ上がっているような絵が描かれています。めくれた部分の内側には、窓や煉瓦造りの建物が続いているように見え、実際の壁がどこまでで、絵がどこから始まっているのか、一瞬分からなくなるほどでした。

これは、カナダの芸術家デレク・マイケル・ベサントが1980年に制作した壁画です。平面に立体的な空間があるように見せる「トロンプ・ルイユ」、日本語では「だまし絵」と呼ばれる技法が使われています。架空の建物の正面部分を大きな幕のように壁へ留め、その端が風でめくれているように描かれています。歴史的な建物の外観を単純に再現するのではなく、現実の建築と絵画を組み合わせた、遊び心のある作品でした。

正面から見ると、赤煉瓦の歴史的建築として街の風景を引き締め、裏側へ回ると、大胆な現代美術によって訪れる人を驚かせます。細長い敷地に合わせた形だけでも十分に印象的ですが、見る方向によってまったく違う魅力を持つことが、この建物がトロントを代表する景観の一つになっている理由なのでしょう。

グッダーハム・ビルを見た後は、まだクリスマスの装飾が残るバークジー・パークを通り、ホッケーの殿堂へ向かいました。年末の街を歩きながら、19世紀に発展したトロントの歴史と、現代の街のにぎわいを同時に感じられる場所でした。

旅程

(略)

↓(徒歩)

セント・ジェームズ教会

↓(徒歩)

セント・ローレンス・ホール

↓(徒歩)

セントローレンス マーケット

↓(徒歩)

グッダーハム・ビル

↓(徒歩)

ホッケーの殿堂

↓(徒歩)

Ripley's Aquarium of Canada

↓(徒歩)

ラウンドハウス・パーク

↓(徒歩)

ロジャーズ・センター

↓(徒歩)

(略)

↓(徒歩)

Historic Sites and Monuments Board of Canada: Glenn Gould (1932 to 1982)

↓(徒歩)

St. Andrew's Church

↓(徒歩)

CF Toronto Eaton Centre

↓(徒歩)

ホテル

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