富山県高岡市の高岡市鋳物資料館を訪れました。
この日は瑞龍寺を目的に高岡まで来ており、朝から前田利長ゆかりの場所をいくつか巡っていました。その後、高岡の古い町並みが残る金屋町まで歩いてきました。
金屋町に入ると、それまで歩いてきた場所とは少し雰囲気が変わります。道の両側には細かな千本格子を持つ家々が並んでいて、昔ながらの職人町らしい風景が残っていました。その町並みの中にあるのが、高岡市鋳物資料館です。
高岡と鋳物の歴史は古く、慶長16年(1611年)、前田利長が高岡の産業を育てるため、現在の金屋町に鋳物師を呼び寄せたことに始まります。高岡城を築き、城下町として高岡を整備した利長は、単に城を中心とした町を造るだけではなく、町が経済的に発展していくための産業も育てようとしたのでしょう。金屋町は、その政策から生まれた高岡鋳物発祥の地です。
資料館に入ると、まず目を引いたのは大きな釜や寺院で使われる鐘などの実物でした。鋳物というと工芸品のようなものを漠然と想像していましたが、これほど大きなものまで鋳造によって作られていたことがよく分かります。
展示では完成品を見るだけではなく、さまざまな鋳造方法についても解説されていました。金属を溶かし、型へ流し込み、冷えて固まったものを取り出して仕上げていくという基本的な仕組みは知っていても、実際には作るものによって技法や工程が異なります。実物の製品とともに製造方法を見ることで、鋳物が職人の経験と技術によって支えられてきたことが実感できました。
高岡鋳物は、当初は鍋や釜、鉄瓶、農具などの鉄鋳物を中心としていました。その後、江戸時代中頃になると釣鐘や灯籠などの銅鋳物も作られるようになり、幕末になると仏具や花瓶など、実用品であると同時に装飾性の高い製品へと発展していきました。こうした技術が、現在まで続く高岡銅器の基礎になっています。
この日ここまで高岡を歩いてきて、前田家の歴史や高岡御車山などについて見てきましたが、鋳造もまた高岡を代表する文化の一つであることを、この資料館で初めて強く意識しました。
特に面白かったのは、それらが別々の歴史ではないことです。瑞龍寺も、前田利長も、高岡の町並みも、御車山も、そして鋳物も、高岡という一つの町が形成され、発展していく中で生まれてきました。前田利長という人物を追って歩いていたつもりが、いつの間にか高岡という都市そのものの成り立ちを見ていたように思います。
資料館を出ると、再び千本格子の家々が並ぶ金屋町を歩きました。資料館に入る前には単に美しい古い町並みに見えていた景色も、ここが400年以上続く鋳物師の町だったと知った後では、少し違って見えてきます。
金屋町をあとにして、次は高岡關野神社へ向かいました。
旅程
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高岡御車山会館
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高岡駅
地域の名物
- こきりこ節
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