大阪府大阪市の通天閣に行きました。
この日は大阪城などを目的に大阪観光に来ており、大阪城や四天王寺などを見て回ったあと、徒歩で通天閣へ向かいました。四天王寺から西へ歩いていくと、北側の建物の隙間から通天閣の姿が少しずつ見えてきました。大阪を代表する建物だけに、街の中から塔が見えてくると、いよいよ新世界まで来たという気分になります。
通天閣の歴史は明治時代までさかのぼります。この一帯では1903年に第5回内国勧業博覧会が開催され、その跡地を利用して新しい歓楽街が造られました。それが「新世界」です。1912年には遊園地のルナパークとともに初代通天閣が完成しました。初代は高さ約75メートルで、下部に凱旋門を思わせる構造を置き、その上にエッフェル塔を参考にした塔を載せるという非常に個性的な姿をしていました。さらに通天閣とルナパークをロープウェーで結ぶという、当時としてはかなり斬新な娯楽施設だったそうです。
しかし、初代通天閣は1943年に火災に遭い、戦時中の鉄材供出もあって解体されました。戦後になると、新世界の復興には通天閣の再建が必要だという地元の声が高まり、1956年に現在の2代目通天閣が完成しました。設計したのは東京タワーなども手掛けた「塔博士」として知られる内藤多仲です。初代をそのまま復元したのではなく、直線的な鉄骨を強調した姿となっており、戦後の大阪の復興を象徴する建築ともいえます。
通天閣の南側へ回ると、新世界らしい派手な看板が並ぶ通りに出ました。通天閣そのものを見るだけでなく、この周辺の街並みまで含めて一つの観光地になっているように感じます。せっかく大阪に来たので、ここではたこ焼きなどを食べました。建物を見た記憶以上にたこ焼きを食べた記憶が残っているあたりも、いかにも大阪観光らしいところです。
普段の旅行では展望塔を見つけるとほぼ必ず上るのですが、このときは不思議なことに通天閣へ上った記憶がありません。展望台まで上っていれば大阪の街を見下ろす写真を何枚も撮っているはずですが、そのような写真も残っていません。おそらく非常に混雑していたか、何らかの理由で入るのをあきらめたのだと思います。
通天閣は単なる展望塔ではなく、明治末期に誕生した新世界、戦争による喪失、そして戦後復興という大阪の近現代史を象徴する存在でもあります。一度姿を消しながら、地元の人々の力によって再建されたという歴史を知ると、周囲の賑やかな街並みの中心に塔が立っている光景にも少し違った意味が感じられます。
この日はその後もかなり時間が余っていました。せっかく大阪まで来ているので、そのまま帰るのはもったいないと思い、予定を変更して少し足を延ばし、万博記念公園へ向かうことにしました。大阪城、四天王寺、そして新世界と、時代の異なる大阪の名所を巡ったあと、今度は1970年の大阪万博の舞台へ向かいます。
旅程
東京
↓(新幹線)
新大阪駅
↓(JR)
大阪城公園駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
森ノ宮駅
↓(JR)
天王寺駅
↓(徒歩)
あべのハルカス
↓(徒歩)
↓(徒歩)
(略)
↓(徒歩)
一心寺
↓(徒歩)
↓(徒歩)
動物園前駅
↓(OsakaMetro/大阪モノレール)
万博記念公園駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
万博記念公園駅
↓(大阪モノレール/北大阪急行電鉄/新幹線)
東京
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