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こおりやま文学の森資料館:暖炉と和室に残る、ある作家の暮らし

福島県郡山市にある「こおりやま文学の森資料館」を訪れました。

この日は郡山周辺を観光しており、午前中はあぶくま洞などを巡りました。その後、午後から郡山市内へ移動し、こおりやま文学の森資料館に向かいました。

こおりやま文学の森資料館があるのは、郡山の発展と深い関わりを持つ開成山の一角です。「文学の森」という名称は、この辺りがかつて「放れ森」と呼ばれていたことに由来するそうです。資料館は2000年に開館し、久米正雄や宮本百合子をはじめとする郡山ゆかりの作家たちを紹介しています。館内には著書だけでなく、原稿や書簡なども展示され、その人物の生涯と作品をたどることができます。

ただ、私は普段、小説などをほとんど読まないため、展示されている作家の名前を見ても、残念ながら知っている人が一人もいませんでした。文学館を訪れると、教科書などで名前を見たことのある作家に出会うこともありますが、今回は完全に未知の世界です。

それでも、こうした施設を見ていると、その土地にはその土地の文学史があることが分かります。郡山というと、私には安積開拓や安積疏水などの近代史の印象が強かったのですが、同じ土地で育ったり暮らしたりした文学者たちが、それぞれの作品を残してきたという別の歴史もあります。作品を知らなくても、「この人物はなぜ郡山と関係があるのだろう」と経歴を追っていくだけで、土地を見る視点が少し増えていきます。

一通り資料館を見学した後、同じ敷地内にある久米正雄記念館へ向かいました。

久米正雄は1891年に長野県で生まれ、6歳のときに郡山へ移り住みました。のちに東京帝国大学へ進み、芥川龍之介らとともに文芸雑誌『新思潮』に参加しています。劇作家、小説家、俳人として活動し、『学生時代』『破船』『月よりの使者』などの作品を残しました。俳号は「三汀」といい、郡山との関係が深い近代文学者の一人です。

記念館になっている建物そのものも興味深いものでした。これは久米正雄が1930年に鎌倉の二階堂に建てた自邸で、作家生活の後半を過ごした家です。2000年、こおりやま文学の森資料館の開館に合わせて鎌倉から郡山へ移築されました。正面側は白壁を使った洋風の姿ですが、奥には和室が並ぶ和洋折衷の住宅となっています。

実際に中へ入ってみると、暖炉のある洋間がある一方で、日本間もありました。文学作品を知らない私には、作品そのものよりも、この住宅の方が身近に感じられたかもしれません。

特に洋風の応接間には暖炉があり、久米が集めた絵画や旅行先の品などが飾られていたといいます。そして面白いのは、この応接間が単なる来客用の部屋ではなかったことです。原稿を書き上げるのを待つ編集者がここで待っていたことも多かったそうで、華やかな洋間の背後に、締め切りに追われる作家の日常まで想像できます。和室では句会も開かれていました。住宅そのものが、久米正雄の生活だけでなく、当時の文学者や編集者たちの交流の場でもあったのでしょう。

訪れるまでは久米正雄という作家の名前すら知りませんでした。それでも、原稿や書籍だけを見るのではなく、実際に生活していた家の中を歩き、暖炉や和室を見ることで、一人の文学者が少しだけ現実の人物として感じられるようになりました。

文学に詳しくないからこそ、こうした文学館では知らない人物ばかりに出会います。しかし旅行先で知らなかった人物を知り、その人物を通して土地の歴史をもう一つ発見するのも、博物館や資料館巡りの面白さなのかもしれません。

久米正雄記念館を見終えた後は文学の森を後にし、次の目的地である開成山大神宮へ向かいました。

旅程

(略)

↓(徒歩)

星の村天文台

↓(徒歩)

神俣駅

↓(JR磐越東線)

郡山駅

↓(徒歩)

こおりやま文学の森資料館

↓(徒歩)

開成山大神宮

↓(徒歩)

郡山駅

関連イベント

(略)

↓(徒歩)

こおりやま文学の森資料館

↓(徒歩)

開成山大神宮

↓(徒歩)

郡山駅

地域の名物

  • 郡山ブラック(ラーメン)

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