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江戸東京博物館:特別展「洋館 明治の夢と挑戦」:明治の街を彩った洋館と近代建築の歩み

大学の授業で「明治時代が好き」という話をしたところ、江戸東京博物館で近代に関する企画展をやっていたような気がする、という話が出ました。調べてみると、ちょうど江戸東京博物館リニューアル記念特別展「洋館 明治の夢と挑戦」が開催されていたため、見に行くことにしました。

明治時代というと、私の場合は鉄道や工場、通信などの産業や技術の発展に目が向きがちです。今回の特別展は建築が中心だったため、普段の興味とは少し違う分野でした。しかし展示を見ていくと、これまで旅行や史跡巡りで訪れた建物も数多く登場し、想像以上に楽しむことができました。

第一章は「ナマコ壁と擬洋風建築」です。明治維新によって西洋の文化や技術が急速に流入しましたが、最初から日本に本格的な西洋建築を設計できる建築家がいたわけではありません。そこで日本の大工たちは、伝統的な技術を使いながら、西洋建築らしい外観を持つ建物を造りました。こうした建築は「擬洋風建築」と呼ばれています。

展示されていた「東都築地ホテル館」や「駿河町雪」などの絵画を見ると、当時の人々にとって洋館がいかに新鮮な存在だったのかが伝わってきます。瓦屋根やナマコ壁といった日本的な要素と、西洋風の窓や柱などが組み合わされている建物もあり、現在から見ると少し不思議な姿です。しかし、それは単なる模倣というより、日本の職人たちが限られた情報をもとに新しい建築を理解しようとした過程でもあったのでしょう。

第二章は「建築家がやってきた―外国人建築家と『都市風景』」です。ここではウォートルスやエンデ&ベックマンなど、日本の近代建築に関わった外国人建築家が紹介されていました。

明治初期の東京では、1872年の銀座大火をきっかけに、火災に強い都市を目指して銀座煉瓦街が建設されました。その計画に関わったのが、イギリス人のトーマス・ウォートルスです。展示には銀座煉瓦街を描いた絵画や実際の煉瓦があり、東京の街並みそのものを西洋化しようとしていた時代の雰囲気を感じることができました。

銀座煉瓦街

さらに明治政府は、霞が関周辺に西洋式の官庁街を造ろうとし、ドイツの建築家エンデとベックマンらを招きました。計画のすべてが実現したわけではありませんが、この流れの中から裁判所など本格的な西洋建築が造られていきます。東京裁判所の外観透視図などを見ていると、建物一棟を西洋風にするだけではなく、首都東京そのものを近代国家にふさわしい都市へ変えようとしていたことが分かります。

第三章は「開花する洋館の明治―日本人建築家の挑戦」です。外国人から西洋建築を学んだ日本人の世代が、やがて自分たちで本格的な洋館を設計するようになります。ここでは辰野金吾や片山東熊などが紹介されていました。

辰野金吾といえば、日本銀行本店や東京駅で知られる建築家です。展示されていた東京駅の模型や絵画は特に印象に残りました。東京駅が開業したのは明治ではなく1914年、つまり大正3年ですが、その設計を可能にした日本の建築教育や技術者の成長は、明治時代に築かれたものです。外国人建築家に頼っていた時代から、わずか数十年で日本人自身が国家を代表する建築を設計するまでになったことを考えると、明治という時代の変化の速さを改めて感じます。

片山東熊が設計した旧東宮御所も、日本の西洋建築を代表する建物です。現在の迎賓館赤坂離宮で、明治末期に完成しました。第四章「羨望の住処―明治の洋風邸宅」では、旧東宮御所で使われた家具も展示されていました。建物だけでなく家具や室内装飾まで西洋式の生活空間を作ろうとしていたことから、洋館が単なる建築様式ではなく、新しい生活や文明そのものへの憧れを象徴していたことが分かります。

展示を見ていて特に楽しかったのは、以前訪れた場所が次々と登場したことです。どの章だったかは覚えていませんが、日本銀行小樽支店など、実際に見たことのある建物の図面や絵画も展示されていました。旅行したときには「古い洋館」として見ていた建物が、外国人建築家から技術を学び、日本人建築家がそれを自分たちのものにしていく近代建築史の中に位置づけられると、同じ建物でも少し違って見えてきます。

今回の展示を通して印象に残ったのは、明治の洋館が単に「西洋風のおしゃれな建物」ではないということでした。擬洋風建築から始まり、外国人建築家による本格的な西洋建築を経て、やがて辰野金吾や片山東熊ら日本人建築家の世代へとつながっていきます。その流れは、西洋を懸命に模倣していた日本が、少しずつ技術を吸収し、自分たちで近代国家の姿を形にしていった歴史そのものでもあります。

産業史とは少し違う分野の展示を見るつもりで訪れましたが、建築もまた明治日本の近代化を目に見える形で示すものだと分かり、興味深い特別展でした。一通り洋館の歴史を見た後は、そのまま常設展へ向かいました。

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江戸東京博物館:特別展「洋館 明治の夢と挑戦」

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