スキップしてメイン コンテンツに移動

依水園:奈良の風景を借りた静かな庭園を歩く

奈良県奈良市の依水園に行きました。

この日は、奈良国立博物館の特別展「南都仏画」を見るために奈良を訪れていました。奈良国立博物館は遅い時間まで開館していたため、その前に周辺を巡ることにし、元興寺、春日大社に続いて依水園へ向かいました。

依水園のことはそれまで知りませんでしたが、奈良国立博物館周辺の見どころをChatGPTで調べた際におすすめされた場所です。東大寺南大門からも近いのですが、入口は西側にあり、奈良公園や東大寺の賑わいから少し離れたところにあります。

園内に入ってすぐのところには三秀亭があります。ちょうど昼時だったこともあり、空いているということで、まずここで食事をとることにしました。

三秀亭は、江戸時代前期に奈良晒を扱っていた御用商人・清須美道清が別邸として移築した建物です。現在は食事処として利用されており、前園を眺めながら食事をすることができます。

庭園の中にあるため混雑しているのかと思いましたが、比較的静かでした。依水園の前園を眺めながら食事ができるので、東大寺や奈良公園周辺を歩いている途中の昼食場所としても、なかなか良いところだと思います。

食事を終え、依水園と寧楽美術館の共通チケットを購入して、まず日本庭園を見て回りました。

依水園は、一つの時代に造られた庭園ではありません。江戸時代前期に造られた「前園」と、明治時代に造られた「後園」という、成立時期も性格も異なる二つの池泉回遊式庭園から構成されています。

前園は、清須美道清が延宝年間、1670年代に煎茶を楽しむために造った庭園です。一方の後園は、明治時代に実業家の関藤次郎が茶の湯や詩歌の会を楽しむために造ったもので、若草山や春日奥山、御蓋山、さらに東大寺南大門まで周囲の風景に取り込んだ借景庭園になっています。依水園は1975年には国の名勝に指定されています。

入口近くに前園があるので、最初に前園を一周するのかと思っていましたが、少し歩くと後園へと入っていきました。

後園に入ると、それまでの比較的狭い空間から視界が大きく開け、池を中心とした広々とした庭園が現れます。

事前に、若草山と東大寺南大門を借景にしているという情報は得ていました。そのため、もっと若草山や南大門が大きく見える風景を想像していましたが、実際に歩いてみると、どちらもよく見なければ気付かないほど控えめに景色の中へ入っています。

しかし、むしろその控えめさが良いように感じました。

若草山も東大寺南大門も、それだけで強い印象を持つ奈良を代表する景観です。それを庭園の主役にするのではなく、遠景の一部としてそっと取り込んでいます。後園では、若草山だけではなく春日奥山や御蓋山、空までも庭園の景観として計算されています。

「有名なものを見せる」というよりも、もともとそこにある奈良の風景と庭園との境界を曖昧にしているようでした。借景というものを意識して庭園を見る機会はこれまでにもありましたが、これほど周囲の景観が控えめに組み込まれているのは、かえって面白く感じました。

この日は久しぶりに気温が30度を超える暑い日でした。

ところが、少し前まで涼しい日が続いていたためなのか、庭の木々を見ると、葉の一部がすでにわずかに色づいていました。本格的な紅葉にはまだかなり早い時期ですが、緑の中に薄い赤や黄色が混じっています。

池の周囲には茶室や書院などの建物も点在しています。後園には、明治時代に造られた書院造りの茶室「氷心亭」や、裏千家の茶室「又隠」を写した「清秀庵」などがあり、庭園が単に眺めるためだけではなく、茶の湯や詩歌を楽しむ文化的な空間として造られたことが分かります。

池を一周するように歩いたあと、再び前園へ入りました。

先ほど食事をした三秀亭を、今度は庭園側から眺めることになります。同じ建物でも、食事をしながら庭を見るのと、庭を歩きながら建物を見るのとでは印象が変わります。

前園には池があり、その中には鶴亀を表現した中島が設けられています。後園が周囲の山々や東大寺まで取り込んだ開放的な庭園なのに対して、前園は周囲から切り離された、より静かな空間として造られています。

池の周囲を歩き、石造りの橋を渡りながら前園を巡りました。

奈良に来る目的は仏画を見ることで、この日も元興寺や春日大社といった歴史ある寺社を巡っていました。その中で依水園は少し性格の違う場所でした。

江戸時代と明治時代、二つの時代に造られた庭を歩きながら、建築や仏像とはまた違った形で、日本人が自然をどのように切り取り、鑑賞する空間を造ってきたのかを見ることができます。

久しぶりの暑さの中を歩いていましたが、池の水や木陰、そして緑の中に混じり始めた薄い紅葉を眺めていると、少しだけ暑さも和らいだように感じました。

まだ夏のような気温でありながら、庭園の中ではすでに次の季節が始まりつつあります。

思いがけず訪れた場所でしたが、奈良公園や東大寺のすぐ近くで、奈良の風景を静かに眺めることのできる庭園でした。

依水園を見終えたあとは、同じ敷地内にある寧楽美術館へ向かいました。

旅程

東京

↓(新幹線 / 近鉄)

近鉄奈良

↓(徒歩)

元興寺

↓(徒歩)

春日大社

↓(徒歩)

依水園・寧楽美術館

↓(徒歩)

子規の庭

↓(徒歩)

(略)

リンク

コメント

このブログの人気の投稿

斎宮歴史博物館:柵列の間をくぐり抜け、古代国家の祈りに触れる、祈りの都が農村へ変わるまで

斎宮跡を歩いたあと、その流れのまま斎宮歴史博物館へ向かいました。駅前から感じていた木造風の意匠や、整えられた景観の延長線上に、この博物館の落ち着いた佇まいがあり、ここでようやく「斎宮」という言葉が指す世界の輪郭を、資料と展示で掴めそうだと思いました。斎宮は史跡としては広々としていて、当時の建物がそのまま立ち上がっているわけではありません。その分、見学者の頭の中で想像を補う余地が大きいのですが、博物館はその空白を、根拠と手触りのある情報で丁寧に埋めてくれる場所でした。 ちょうど特別展「天地(あめつち)の神を祈りて-伊勢神宮、そして斎宮-」が開催されており、展示室に入ると、ここが古代から信仰の重要な舞台だったことを、古墳時代の出土品などの実物資料を通して実感できました。伊勢神宮が成立していく過程、そこに斎宮・斎王という制度が結びついていく必然性が、単なる言葉の説明ではなく「この土地から出てきたもの」と一緒に語られるので、歴史がふわっとした神話のように遠ざからず、現実の地層の上に積み上がった出来事として迫ってきます。斎宮跡を先に見ていたからこそ、「あの広い区画が、ただの空き地ではなく、国家的な祈りを担う装置だったのだ」という感覚が、じわじわと身体に染みてきました。 特別展のあとに常設展を見ていくと、展示室が二つに分かれている構成が分かりやすく、斎宮という存在を別々の角度から立体的に捉えられるようになっていました。展示室1のテーマは「文字からわかる斎宮」です。延喜式のレプリカが示す制度としての斎宮、そして源氏物語、栄華物語、大和物語といった文学作品の中に現れる斎宮や斎王の姿が並ぶと、斎王がただの宗教的存在ではなく、宮廷文化の文脈の中でも強く意識された存在だったことが見えてきます。文学の中の斎王は、歴史の事実だけでは捉えきれない感情や視線をまとっていて、制度の説明とは違う温度で当時の人々の心情を想像させます。 さらに、文字が書かれた土器や印といった資料も展示されていて、「斎宮は祈りの場」という一言では片づかない、運用のための事務や情報のやりとりが確かにあったことが伝わってきました。展示の中には、武官や男女の子どもの等身大人形と当時の衣装があり、そこに復元された葱華輦(そうかれん)や斎王の居室の再現も続きます。文字資料を中心とする展示室1なのに、こうした視覚的・空間的な復元がし...

新島旧邸:京都の町なかで思いがけず出会った特別公開

京都文化博物館に行くために京都市に来たこの日、私は開館までの時間を使って京都御苑を歩いていました。ところが、京都御苑は思っていた以上に見どころが多く、閑院宮邸跡や京都御所、桂宮邸跡などを見て回っているうちに、気づけばかなりの時間が過ぎていました。少し急ぎ足で京都文化博物館へ向かっていた途中、ふと目に入ったのが「新島旧邸 特別公開中」という文字でした。その瞬間、「あの新島だろうか」と思って案内を見ると、やはり同志社の創立者として知られる新島襄の旧邸でした。まったく予定していなかった立ち寄りでしたが、こうした思いがけない出会いも旅の大きな魅力です。入り口のスタッフの方に尋ねると、毎週土曜日は特別公開の日で、建物の内部も見学できるとのことでした。ここまで予定以上に時間を使ってしまっていましたが、せっかくの機会なので見学することにしました。 新島襄は、明治時代の日本において近代的な教育の実現を目指した人物として知られています。海外で学び、キリスト教や欧米の教育思想に触れた新島襄は、帰国後に京都で同志社英学校を創立し、日本の新しい教育のあり方を切り開こうとしました。その新島襄が暮らした旧邸が、京都の町なかに今も残されていること自体、とても貴重なことだと思います。しかも、この建物は単なる住まいではなく、新しい時代の思想や暮らし方を映し出す場でもあったのでしょう。明治という、和と洋、伝統と近代が激しく交差した時代の空気を、建物そのものから感じ取ることができるように思えました。 最初に見た日本風の附属屋は、落ち着いた雰囲気の建物でした。展示品もありましたが、同志社社史資料センター所蔵資料のレプリカが中心だったようで、いつか訪れてみたいと思っていた資料センターの予習のような時間にもなりました。この附属屋は新島襄の両親のために建てられたものだそうで、そのことを知ると建物の見え方も変わってきます。新しい時代の教育を志し、西洋の知識を積極的に取り入れた新島襄ですが、その一方で家族を大切にし、日本的な暮らしの空間もきちんと用意していたことが伝わってきます。近代化というと、何かを一方的に捨てて新しいものに入れ替えるような印象を持ちがちですが、実際にはこうして古いものと新しいものを併せ持ちながら進んでいったのだろうと感じました。 続いて見学した母屋は洋風の造りで、附属屋とはまた違った魅力がありま...

寺田倉庫G1ビル:NAKED meets ガウディ展:“作品鑑賞”ではなく“思考体験”としてのガウディ

東京都品川区の寺田倉庫G1ビルで開催された「NAKED meets ガウディ展」に行きました。2月11日の午後に一度訪れたときは、想像以上の人気で入場が3時間待ちになってしまい、その日は予定を変更して引き返しました。せっかくなので仕切り直し、別の日の朝10時少し前に再訪すると、この時間でもすでに人が多く、入口を抜けた先のエレベーター前でしばらく待つことになりました。展覧会が始まる前から熱量が伝わってきて、「ガウディは“作品”というより“体験”として見られているのかもしれない」と思いながら列に並びました。 会場に入ると、まずガウディの生涯が簡潔に紹介されます。19世紀後半から20世紀初頭のバルセロナは、産業の発展とともに都市が急速に膨張し、同時にカタルーニャ独自の文化が芸術へと結晶していった時代でした。いわゆるモデルニスモ(カタルーニャ・モダニズム)の潮流の中で、ガウディは歴史主義や装飾の流行に回収されない、自然の秩序そのものを建築へ翻訳するような道を選びます。その入口として、この展覧会は「自然から得た造形美」を前面に出していました。 印象的だったのは、自然物と建築部位を並べて見せる導入です。「小麦」とサグラダ・ファミリア上部の塔、「にんにく」とカサ・バトリョの換気塔、「糸杉の円錐」とベリュスグアルドの塔、「キノコ」とグエル公園の煙突、「樹の柱」とサグラダ・ファミリア内部の柱、「ハチの巣」とカサ・カルベットの覗き穴といった対応関係が、説明とレプリカ展示で示されていました。ここで面白いのは、自然を“模倣”するというより、自然の形が生まれる理屈や強度のあり方を“借りている”ように感じられる点です。曲線は気まぐれな装飾ではなく、重さを受け流し、光を導き、空間を育てるための構造そのものなのだと、最初のコーナーだけでも伝わってきました。 次のコーナーでは、バルセロナ来訪後のガウディの作品が、少し変わった見せ方で並びます。壁面にエル・カプリチョ、カサ・ビセンス、グエル邸、アストルガ司教館、カサ・ボティネスなどのファサードが立体的に配置され、そこにプロジェクションマッピングのような映像が流れていました。建物を単体で鑑賞するというより、街の中で呼吸し、時間とともに表情を変える“都市の一部”として体感させる構成で、バルセロナの通りを歩きながら次々に建築に出会う感覚がうまく再現されている...