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日本民藝館:特別展「創設90年記念 琉球王国の染織 尚家関連品と護得久家伝来品」:花鳥の紅型、ドット絵の絣

東京都目黒区の日本民藝館に行きました。

この日は、日本近代文学館の宇野千代展を目当てに駒場公園へ来ていました。先に旧前田家本邸を見学し、日本近代文学館で宇野千代の生涯や作品に触れた後、最後に立ち寄ったのが日本民藝館です。

訪れたときには、特別展「創設90年記念 琉球王国の染織―尚家関連品と護得久家伝来品」が開催されていました。琉球の染織品を、その美しさだけでなく、誰が所持し、どのように伝わってきたのかという来歴からも見直す展覧会です。

説明を読む前に、ものを見る

館内には、焼き物や染織、食器、アクセサリーなど、さまざまなものが壁や展示棚に並んでいました。そのなかで、展示品そのものとは別に印象に残ったのが、作品名などを記した小さなプレートです。筆で手書きしたような文字で、名前などが簡潔に書かれていました。

博物館では、展示品の隣にある解説を読んで、その歴史や意味を理解することがよくあります。しかし、ここでは詳しい説明を読むというより、まず目の前にあるものを見ることを促されているように感じました。展示品を眺めながら、「純粋にもの自体を見ることを大切にしているのかもしれない」と思いました。

日本民藝館は、思想家の柳宗悦を中心として、1936年に開設されました。「民藝」は「民衆的工藝」を意味し、柳や陶芸家の濱田庄司、河井寬次郎らが生み出した言葉です。名の知られた作家による特別な作品だけでなく、無名の職人が作り、人々の暮らしのなかで使われてきたものにも美しさがあるという考えが、その活動の根底にありました。

実際、日本民藝館では、先入観を持たずにものを見てもらうため、展示品の説明を必要最小限にとどめているそうです。これは、知識だけに頼らず、自分の目で美しさを捉える「直観」を重視した柳の考えにつながっています。

そう聞くと、あの簡潔なプレートも、単に説明を省略したものではないことが分かります。何が描かれているのか、どんな色や形をしているのか。まず自分で気になったところを見る、という鑑賞の仕方なのかもしれません。

同級生との縁から始まった、沖縄への関心

図録を読むと、柳宗悦と沖縄とのつながりには、学生時代の縁があったことが紹介されていました。柳は学習院中等科で、琉球王家・尚家の尚昌と同級だったそうです。

柳自身も「沖縄の思い出」という文章に、尚昌に沖縄の工芸を研究したいと相談し、協力を約束してもらったことを書いています。しかし、尚昌は1923年に亡くなり、準備を進めていた沖縄行きは実現しませんでした。

柳が初めて沖縄を訪れたのは、それから15年ほど経った1938年の暮れです。その後、1940年の夏までに計4回訪問し、仲間たちと工芸の調査や収集を進めました。那覇の古着市で染織品を探し、古道具屋などで焼き物や漆器を集めながら、沖縄の暮らしに息づく手仕事に触れていったのです。

一方、今回の展示を見るうえで興味深いのは、所蔵品がすべて庶民の日用品というわけではないことです。日本民藝館の沖縄染織コレクションには、王族や上級士族のための衣裳も含まれています。近年の調査では、民藝運動の協力者である水谷良一から寄贈された品々のなかに、尚家の流れを引く護得久朝章の旧蔵品が数多くあることが分かってきたそうです。

「民藝」と聞くと、暮らしのなかで使う素朴な道具を思い浮かべますが、そこに王族ゆかりの華やかな衣裳も並んでいます。ひと口に琉球の染織といっても、作られた目的や身につけた人はさまざまなのだと分かりました。

向こうが透ける布に、細かな模様

展示された衣裳で、とりわけ印象に残ったのは布の薄さでした。反対側がほのかに見えるほどのものもあり、本土の浴衣を連想しました。暑い土地で身につける衣服らしく、見た目にも涼しそうです。

ただ、琉球の衣裳は一つの素材で作られているわけではありません。苧麻という植物の繊維や芭蕉、木綿、絹など、さまざまな素材が用いられています。同じように衣裳として展示されていても、布そのものの性質から違っているのです。

《白地霞に松山枝垂桜雁文様紅型衣裳》には、松や枝垂れ桜、雁などが細かく表されていました。長い作品名ですが、名前を手がかりに見ると、布のなかにいくつもの景色や生き物が組み合わされていることが分かります。衣裳全体の華やかさだけでなく、一つひとつの模様の細かさにも目を向けたくなりました。

紅型(ビンガタ)は、琉球で発達した染色技法です。型紙や糊筒を使って布に糊を置き、染まらない部分を作りながら、染料や顔料で模様を表します。絵のように見える花や鳥も、布に模様を染め出すための工程を経て生まれたものです。

図録では、最も格式の高い模様の構成として「鎖大模様型(クサリウフムユウガタ)」が紹介されていました。これは、異なる模様の型紙を肩から裾にかけてつなぎ、一つの大きな連続した模様を作るものです。細かな柄を一つずつ見るだけでなく、衣裳全体を見たときに、どのようにつながっているかも大切なのだと分かります。

《紺地菖蒲に流水桜文様藍型衣裳》も印象に残りました。木綿の布に、水の渦や菖蒲などの植物が細かく表されています。鮮やかな多色の紅型とは異なり、藍の色合いのなかで、水の流れや植物の形が際立って見えました。藍を中心に模様を染めたものは「藍型(エーガタ)」と呼ばれるそうです。

花や鳥がたくさん描かれた衣裳も、水の流れを中心にした衣裳も、ただ模様を詰め込んでいるのではなく、布のなかに一定のまとまりがあるように感じました。

ドット絵のような絣と、繰り返しの面白さ

一方で、もっとシンプルな模様の衣裳も数多く展示されていました。

《黄色地経緯絣衣裳》には、V字形や四角形など、幾何学的な模様が並んでいました。花や鳥の形を細かく表した紅型とは対照的です。輪郭が少しカクカクしていて、どこかドット絵のようにも見えました。

絣は、あらかじめ部分的に染め分けた糸を織り合わせることで模様を作る技法です。布になってから模様を染める紅型とは異なり、織り上がったときの図柄を考えて、糸の段階で準備をする必要があります。

そう考えると、単純な形に見えるからといって、作るのも簡単というわけではなさそうです。縦横の糸が組み合わさって形になることを想像すると、ドット絵のように感じた模様も、布の作られ方と結びついて見えてきます。

今回、複雑な模様にもシンプルな模様にも共通していると感じたのが、繰り返しの面白さでした。同じ形が続いていたり、左右を反転させたように配置されていたりして、一つの模様だけでなく、その並び方にも目が向きます。

花や鳥を細かく見る楽しさと、衣裳全体のパターンを見る楽しさは、少し違います。細部を見れば手の込んだ表現に驚きますし、全体を見ると、繰り返される形が一つのリズムを作っているように感じました。

見慣れたようで、少し違う

琉球の衣裳は、日本の着物と似たところがあり、松や桜などの模様にも親しみを感じます。それでも、色の組み合わせや模様の配置を見ると、少し異国の雰囲気がありました。

紅型の意匠や技法には、琉球王国と日本本土、中国、東南アジアとの文化交流が反映されています。見慣れたような模様と、普段目にするものとは違う印象が同居しているのも、そうした交流のなかで独自の表現が育まれたからなのかもしれません。


宇野千代展をきっかけに訪れた駒場で、旧前田家本邸の建築、日本近代文学館の文学、そして日本民藝館の工芸と、違った分野のものを見る一日になりました。

染織の知識はまだあまりありませんが、「向こうが透けるほど薄い」「鳥や植物が細かい」「ドット絵のように見える」と、自分なりに気になるところを見つけられました。そこから図録を読むと、素材や技法、琉球王国の歴史へと関心がつながっていきます。

まず目の前のものを見て、その後で背景を知る。簡潔なプレートの並ぶ展示室は、そんな見方を試す場所でもあったように思います。ひと通りの展示を見終え、日本民藝館を後にしました。

旅程

駒場東大前駅

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旧前田家本邸

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日本近代文学館

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日本民藝館

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駒場東大前駅

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