スキップしてメイン コンテンツに移動

横浜ユーラシア文化館:西アジアから東アジアへ、遺物でたどる文化の道

神奈川県横浜市の横浜ユーラシア文化館に行きました。

この日は横浜美術館で「マリー・アントワネット・スタイル」展とコレクション展を見たあと、雨が降っていたため、日本大通り駅とつながっている横浜都市発展記念館へ向かいました。横浜ユーラシア文化館は横浜都市発展記念館と同じ建物にあり、横浜都市発展記念館の特別展のチケットで、こちらの常設展も見ることができました。

横浜ユーラシア文化館は、東洋学者の江上波夫が横浜市に寄贈した考古・歴史・美術・民族資料などをもとに、2003年に開館した博物館です。現在の常設展示は、単純に国や時代ごとに分けるのではなく、「砂漠と草原」「色と形」「技」「装う」「伝える」といったテーマから、ヨーロッパとアジアを一続きの「ユーラシア」として眺められるようになっています。東西の文化が人や物の移動によって影響し合ってきたことを意識した展示になっているのも、この博物館の特徴です。

この日は美術館や博物館をいくつか回りましたが、考古学が好きなこともあり、素直にここが一番楽しめました。入口付近にはモンゴルの衣装や寝具、家具などが展示されており、考古資料だけではなく、現在まで続くユーラシア各地の生活文化にも触れられます。展示室に入った段階で、これからどのような資料を見ることができるのかと興味が高まりました。

特に印象に残ったのが、小さな「動物形護符」です。羊や牛、鳥、犬などをかたどったもので、石や貝などで作られた小さな動物には穴があり、ひもを通して身につける護符だったと考えられているそうです。日本の縄文時代にもイノシシなどを表現した土製品がありますが、羊が並んでいるところには、日本とは異なるユーラシアの自然や牧畜文化を感じました。

展示品の年代にも驚かされました。紀元前3千年紀や紀元前2千年紀という資料が並び、紀元前2千年紀の段階ですでに「中期青銅器時代」と説明されているものもあります。日本ではまだ縄文時代にあたる頃、西アジアではすでに青銅器を用いる社会が成立し、都市や交易の歴史が展開していました。同じ年代でも地域によって考古学上の時代区分が大きく異なることを、実物を前にすると改めて実感します。

紀元前2千年紀のイラクで使われた「移動式羊頭付竈」も面白い資料でした。竈には三つの羊の頭が付いているのですが、写実的というより曲線を使った柔らかな造形で、どこかかわいらしく見えます。数千年前の生活道具でありながら、実用性だけではなく、動物を装飾として取り入れる人々の感覚まで伝わってくるようでした。

2世紀頃のアフガニスタン周辺で作られた「塑造頭部」も印象に残りました。女性、あるいは菩薩の頭部ではないかと考えられているそうです。真正面から見ると鼻や唇の位置がやや不自然に感じられるのですが、これは正面からではなく、少し斜めから見られる場所に置かれることを意識して作られた可能性があるそうです。像そのものを見るだけでなく、「当時どこに置かれ、人々からどのように見られていたのか」を考えることで、立体作品の見方が変わります。

2世紀頃のアフガニスタンからパキスタン北西部にかけては、クシャーナ朝のもとで交易が活発になり、インド、イラン、中央アジア、さらにギリシャ・ローマ系の文化が交わる地域でもありました。ガンダーラでは、この頃に仏教美術が大きく発展し、ギリシャ・ローマ的な造形と仏教が結びついた独特の表現が生み出されています。こうした歴史を知ると、「菩薩か女性か」と考えられている小さな頭部も、東西文化が交差したユーラシア世界の中で見えてきます。

3~4世紀頃のイランの、サソリを表した石製スタンプ印章も目を引きました。大きさは2センチほどしかありませんが、サソリのはさみだけでなく、左右に伸びる脚まで細かく表現されています。展示ケースの中では小さな資料ですが、じっくり見ると作った人の観察力や技術の高さが伝わってきました。考古資料は、大型の建築物や彫刻だけでなく、こうした手のひらにも満たない品から当時の人々の生活や信仰を想像できるところが面白いと思います。

紀元前5~3世紀のシリアの「ガラス製香油瓶」にも驚きました。青いガラスの表面に白い波のような模様が施されており、コアガラスと呼ばれる技法で作られています。現代では身近な素材であるガラスですが、紀元前数百年の段階ですでに、このような色鮮やかな容器が作られていたことには驚かされます。古代の東地中海では紀元前6~5世紀頃から、コアガラス技法による香油瓶が広く作られていました。横浜ユーラシア文化館でも「技」というテーマの中でガラス製香油瓶を紹介しており、交易によって製品だけでなく加工技術そのものも各地へ伝わったことが示されています。

ほかにも土器や装飾品、銅鏡、貨幣、衣装などが数多く並び、中国やタイをはじめとする東アジア・東南アジアの資料や、16世紀頃までの比較的新しい資料も展示されていました。一つの文明を時系列で追う博物館とは違い、ユーラシアという広い範囲を横断しながら資料を見ることで、地域ごとの違いだけでなく、動物表現や装飾、素材、技術などに共通する部分も見えてきます。

特に今回は、紀元前数千年の西アジアの資料から、アフガニスタンの仏教文化、中国や東南アジアの資料、さらに近現代の民族衣装までが同じ展示室に並んでいることが印象に残りました。「ユーラシア」という言葉は地理的には非常に大きな範囲ですが、実際の資料を見ていくと、その広大な地域を人や物、技術が絶えず移動してきたことが分かります。

横浜という都市の歴史を見た横浜都市発展記念館のすぐあとに、数千年にわたるユーラシア世界の歴史を見るというのも面白い組み合わせでした。予定していた以上に楽しめた博物館で、考古学が好きなら、小さな展示品までじっくり見て回りたくなる場所でした。


見学を終えたあとは建物を出て、隣のビルにあるニュースパークへ向かいました。

旅程

東京

↓(東京メトロ副都心線/みなとみらい線)

みなとみらい駅

↓(徒歩)

横浜美術館(「マリー・アントワネット・スタイル」展 / コレクション展

↓(徒歩)

みなとみらい駅

↓(みなとみらい線)

日本大通り駅

↓(徒歩)

横浜都市発展記念館

↓(徒歩)

横浜ユーラシア文化館

↓(徒歩)

ニュースパーク

↓(徒歩)

日本大通り駅

リンク

コメント

このブログの人気の投稿

斎宮歴史博物館:柵列の間をくぐり抜け、古代国家の祈りに触れる、祈りの都が農村へ変わるまで

斎宮跡を歩いたあと、その流れのまま斎宮歴史博物館へ向かいました。駅前から感じていた木造風の意匠や、整えられた景観の延長線上に、この博物館の落ち着いた佇まいがあり、ここでようやく「斎宮」という言葉が指す世界の輪郭を、資料と展示で掴めそうだと思いました。斎宮は史跡としては広々としていて、当時の建物がそのまま立ち上がっているわけではありません。その分、見学者の頭の中で想像を補う余地が大きいのですが、博物館はその空白を、根拠と手触りのある情報で丁寧に埋めてくれる場所でした。 ちょうど特別展「天地(あめつち)の神を祈りて-伊勢神宮、そして斎宮-」が開催されており、展示室に入ると、ここが古代から信仰の重要な舞台だったことを、古墳時代の出土品などの実物資料を通して実感できました。伊勢神宮が成立していく過程、そこに斎宮・斎王という制度が結びついていく必然性が、単なる言葉の説明ではなく「この土地から出てきたもの」と一緒に語られるので、歴史がふわっとした神話のように遠ざからず、現実の地層の上に積み上がった出来事として迫ってきます。斎宮跡を先に見ていたからこそ、「あの広い区画が、ただの空き地ではなく、国家的な祈りを担う装置だったのだ」という感覚が、じわじわと身体に染みてきました。 特別展のあとに常設展を見ていくと、展示室が二つに分かれている構成が分かりやすく、斎宮という存在を別々の角度から立体的に捉えられるようになっていました。展示室1のテーマは「文字からわかる斎宮」です。延喜式のレプリカが示す制度としての斎宮、そして源氏物語、栄華物語、大和物語といった文学作品の中に現れる斎宮や斎王の姿が並ぶと、斎王がただの宗教的存在ではなく、宮廷文化の文脈の中でも強く意識された存在だったことが見えてきます。文学の中の斎王は、歴史の事実だけでは捉えきれない感情や視線をまとっていて、制度の説明とは違う温度で当時の人々の心情を想像させます。 さらに、文字が書かれた土器や印といった資料も展示されていて、「斎宮は祈りの場」という一言では片づかない、運用のための事務や情報のやりとりが確かにあったことが伝わってきました。展示の中には、武官や男女の子どもの等身大人形と当時の衣装があり、そこに復元された葱華輦(そうかれん)や斎王の居室の再現も続きます。文字資料を中心とする展示室1なのに、こうした視覚的・空間的な復元がし...

新島旧邸:京都の町なかで思いがけず出会った特別公開

京都文化博物館に行くために京都市に来たこの日、私は開館までの時間を使って京都御苑を歩いていました。ところが、京都御苑は思っていた以上に見どころが多く、閑院宮邸跡や京都御所、桂宮邸跡などを見て回っているうちに、気づけばかなりの時間が過ぎていました。少し急ぎ足で京都文化博物館へ向かっていた途中、ふと目に入ったのが「新島旧邸 特別公開中」という文字でした。その瞬間、「あの新島だろうか」と思って案内を見ると、やはり同志社の創立者として知られる新島襄の旧邸でした。まったく予定していなかった立ち寄りでしたが、こうした思いがけない出会いも旅の大きな魅力です。入り口のスタッフの方に尋ねると、毎週土曜日は特別公開の日で、建物の内部も見学できるとのことでした。ここまで予定以上に時間を使ってしまっていましたが、せっかくの機会なので見学することにしました。 新島襄は、明治時代の日本において近代的な教育の実現を目指した人物として知られています。海外で学び、キリスト教や欧米の教育思想に触れた新島襄は、帰国後に京都で同志社英学校を創立し、日本の新しい教育のあり方を切り開こうとしました。その新島襄が暮らした旧邸が、京都の町なかに今も残されていること自体、とても貴重なことだと思います。しかも、この建物は単なる住まいではなく、新しい時代の思想や暮らし方を映し出す場でもあったのでしょう。明治という、和と洋、伝統と近代が激しく交差した時代の空気を、建物そのものから感じ取ることができるように思えました。 最初に見た日本風の附属屋は、落ち着いた雰囲気の建物でした。展示品もありましたが、同志社社史資料センター所蔵資料のレプリカが中心だったようで、いつか訪れてみたいと思っていた資料センターの予習のような時間にもなりました。この附属屋は新島襄の両親のために建てられたものだそうで、そのことを知ると建物の見え方も変わってきます。新しい時代の教育を志し、西洋の知識を積極的に取り入れた新島襄ですが、その一方で家族を大切にし、日本的な暮らしの空間もきちんと用意していたことが伝わってきます。近代化というと、何かを一方的に捨てて新しいものに入れ替えるような印象を持ちがちですが、実際にはこうして古いものと新しいものを併せ持ちながら進んでいったのだろうと感じました。 続いて見学した母屋は洋風の造りで、附属屋とはまた違った魅力がありま...

寺田倉庫G1ビル:NAKED meets ガウディ展:“作品鑑賞”ではなく“思考体験”としてのガウディ

東京都品川区の寺田倉庫G1ビルで開催された「NAKED meets ガウディ展」に行きました。2月11日の午後に一度訪れたときは、想像以上の人気で入場が3時間待ちになってしまい、その日は予定を変更して引き返しました。せっかくなので仕切り直し、別の日の朝10時少し前に再訪すると、この時間でもすでに人が多く、入口を抜けた先のエレベーター前でしばらく待つことになりました。展覧会が始まる前から熱量が伝わってきて、「ガウディは“作品”というより“体験”として見られているのかもしれない」と思いながら列に並びました。 会場に入ると、まずガウディの生涯が簡潔に紹介されます。19世紀後半から20世紀初頭のバルセロナは、産業の発展とともに都市が急速に膨張し、同時にカタルーニャ独自の文化が芸術へと結晶していった時代でした。いわゆるモデルニスモ(カタルーニャ・モダニズム)の潮流の中で、ガウディは歴史主義や装飾の流行に回収されない、自然の秩序そのものを建築へ翻訳するような道を選びます。その入口として、この展覧会は「自然から得た造形美」を前面に出していました。 印象的だったのは、自然物と建築部位を並べて見せる導入です。「小麦」とサグラダ・ファミリア上部の塔、「にんにく」とカサ・バトリョの換気塔、「糸杉の円錐」とベリュスグアルドの塔、「キノコ」とグエル公園の煙突、「樹の柱」とサグラダ・ファミリア内部の柱、「ハチの巣」とカサ・カルベットの覗き穴といった対応関係が、説明とレプリカ展示で示されていました。ここで面白いのは、自然を“模倣”するというより、自然の形が生まれる理屈や強度のあり方を“借りている”ように感じられる点です。曲線は気まぐれな装飾ではなく、重さを受け流し、光を導き、空間を育てるための構造そのものなのだと、最初のコーナーだけでも伝わってきました。 次のコーナーでは、バルセロナ来訪後のガウディの作品が、少し変わった見せ方で並びます。壁面にエル・カプリチョ、カサ・ビセンス、グエル邸、アストルガ司教館、カサ・ボティネスなどのファサードが立体的に配置され、そこにプロジェクションマッピングのような映像が流れていました。建物を単体で鑑賞するというより、街の中で呼吸し、時間とともに表情を変える“都市の一部”として体感させる構成で、バルセロナの通りを歩きながら次々に建築に出会う感覚がうまく再現されている...