スペイン・バルセロナを観光しました。朝から市内を歩き、Jardins de la Torre de les Aigüesを見たあと、グラシア通りへ向かいました。そこで目に入ったのが、華やかな装飾に覆われたカサ・リェオ・イ・モレラです。
建物を見上げてまず印象に残ったのは、上部に並ぶ植物のつぼみのような装飾でした。曲線を多用した外観や、自然を思わせる意匠を見ていると、いかにもバルセロナらしく、「これもガウディの建物なのだろうか」と思いたくなります。しかし、設計したのはガウディではなく、リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーという建築家でした。
ドメネク・イ・ムンタネーは1850年生まれで、ガウディと同じ時代に活躍したカタルーニャのモデルニスモを代表する建築家です。バルセロナでは、世界遺産にもなっているカタルーニャ音楽堂やサン・パウ病院を設計した人物として知られています。建築だけでなく、彫刻、ステンドグラス、モザイク、家具など、多くの工芸を一つの空間へまとめ上げることを得意としていました。カサ・リェオ・イ・モレラでも、多数の芸術家や職人が参加しています。
この場所にはもともと1864年に建てられた住宅がありました。20世紀初頭にフランセスカ・モレラがドメネク・イ・ムンタネーへ大規模な改築を依頼し、建物は1902年から1905年頃にかけて現在につながる姿へと変わっていきました。外壁を造り替え、階を増やし、石造のバルコニーや彫刻などを加えるほどの大改装だったようです。完成した建物はバルセロナ市の建築賞でも高く評価されました。
ガウディの作品に似ていると感じたのも、まったく的外れではなかったようです。カサ・リェオ・イ・モレラにも、植物を思わせる装飾や曲線、彫刻的なバルコニーなど、当時のカタルーニャのモデルニスモに共通する要素が数多く使われています。ガウディだけが突然こうした建築を生み出したのではなく、同じ時代のバルセロナで、複数の建築家がそれぞれの方法で新しい建築を追求していたことが分かります。ドメネク・イ・ムンタネーの場合は、建物そのものの形だけでなく、彫刻やステンドグラス、モザイクといった工芸を組み合わせ、全体を一つの作品として仕上げているところが大きな特徴です。
そして、この建物がある一角は「不和の区画(マンザナ・デ・ラ・ディスコルディア)」と呼ばれています。すぐ近くにはジュゼップ・プッチ・イ・カダファルクのカサ・アマトリェール、さらにガウディのカサ・バトリョが並んでおり、20世紀初頭を代表するモデルニスモ建築家たちの作品を、わずかな距離の中で比較できます。その名前も、それぞれの建物の様式があまりにも異なっていることに由来しています。
このときはまだ、ドメネク・イ・ムンタネーという名前を強く意識していなかったと思います。バルセロナといえば、どうしてもガウディの印象が先に立ちます。しかし、街を歩いていると、ガウディ以外にも個性的な建築家がいたことに気づかされます。知らずに見れば「ガウディっぽい」と感じた建物も、背景を調べてみると、当時のバルセロナ全体を覆っていたモデルニスモという大きな文化の流れの中にあったことが分かります。
カサ・リェオ・イ・モレラを眺めたあと、そのままグラシア通りを北へ歩き、次はカサ・バトリョへ向かいました。結果として、ドメネク・イ・ムンタネーからガウディへと、同じ時代に活躍した二人の建築家の作品を続けて見ることになりました。同じモデルニスモでも、その表現方法はかなり異なります。何気なく歩いたこの区間は、今振り返ると、バルセロナの近代建築を比較しながら楽しめる、とても贅沢な散策だったように思います。
旅程
(略)
↓(徒歩)
Jardins de la Torre de les Aigües
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
リベルタト市場
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
ホテル
地域の名物
- ガスパッチョ
- パエーリャ
- シェリー酒
コメント
コメントを投稿