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ベーリック・ホール:アーチが印象的な横浜・山手の洋館を歩く

神奈川県横浜市中区のベーリック・ホールを訪れました。

この日は三渓園を主な目的に朝から横浜を歩いていました。午前中に三渓園とその周辺を見学した後、そのまま徒歩で北へ移動し、山手地区までやって来ました。横浜の山手には外国人居留地だった時代の面影を伝える洋館がいくつも残っていますが、その中でもひときわ大きな建物がベーリック・ホールです。

ベーリック・ホールは、イギリス人貿易商B.R.ベリックの邸宅として1930(昭和5)年に建てられました。設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。モーガンは横浜を中心に活動し、山手111番館や横浜山手聖公会、旧根岸競馬場一等馬見所なども手掛けています。ベーリック・ホールは現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模で、スパニッシュスタイルを基調としています。

外から眺めると、明るい色の壁と瓦屋根を組み合わせた、いかにも近代の洋館らしい姿をしています。しかし、特に印象に残ったのが玄関まわりのアーチです。玄関ポーチには連続したアーチが設けられ、四葉形の「クワットレフォイル」と呼ばれる小窓なども使われています。

私はこのアーチを見たとき、どことなく中東の建築のようにも感じました。これはまったく見当違いというわけでもなさそうです。スペインでは中世にイスラム勢力が長期間支配した地域があり、イスラム建築の意匠がキリスト教文化と混ざり合いながら発展しました。そのため、後世のスパニッシュスタイルにも、アーチを多用する造形など、イスラム文化を連想させる要素を見ることがあります。横浜の洋館を見ているのに、そこからスペイン、さらにイスラム世界までつながっていくところが建築の面白いところです。

館内に入ると、外観だけでなく室内にも西洋館らしい雰囲気が残されていました。広いリビングルームには暖炉があり、ダイニングルームには重厚な梁を見せる天井や家具が並んでいます。玄関や階段にはアイアンワークが使われ、白と黒のタイル張りの床など、細かな部分にも凝った意匠が見られます。

特に気になったのが、ライオンのような顔の口から水が出る設備でした。これは「獅子頭のある壁泉」と呼ばれるもので、パームルームに設けられています。単なる装飾かと思いましたが、これもスパニッシュスタイルの特徴を伝える建築要素の一つなのだそうです。

訪れたのは12月中旬だったため、館内はクリスマスの装飾で彩られていました。ただし、街中でよく見る赤や金色を大量に使った華やかな飾りとは少し雰囲気が違います。枝や葉、木の実など自然を感じさせるものが使われており、落ち着いた冬の森のような印象を受けました。

調べてみると、この時期には「横浜山手西洋館 世界のクリスマス2023」が開催されており、ベーリック・ホールが担当していた国はオーストリアでした。館内にはオーストリアのクリスマス文化を題材とした装飾が施され、寝室では「ウィーンの森」をイメージした展示も行われていました。

そのため、私が見た枝や葉を生かした飾りも、単に「昔ながらのクリスマスだから質素だった」というより、オーストリアやウィーン周辺の自然を意識した2023年の展示だったようです。また、オーストリアは世界的に知られるクリスマスソング「きよしこの夜」が生まれた土地でもあり、館内にはこの曲を題材とした演出も用意されていました。何気なく見ていたクリスマス装飾にも、きちんと一つのテーマがあったことが後から分かりました。

一方、歴史的な家具が並ぶ部屋とは対照的に、現代的なパイプ椅子が並んでいる場所もありました。現在のベーリック・ホールでは見学だけでなくコンサートなどの催しも行われており、保存された歴史的建造物でありながら、現代の人々が実際に利用する空間でもあります。かつての邸宅を単に閉じ込めて保存するのではなく、人が集まる場所として使い続けていることも印象的でした。

建物の歴史をたどると、第二次世界大戦前まではベリック家の住宅として使われ、その後1956(昭和31)年に遺族からカトリック・マリア会へ寄贈されました。それから2000(平成12)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されています。2001(平成13)年には建物が横浜市へ寄贈され、復原・改修工事を経て、2002(平成14)年から建物と庭園が一般公開されています。

もともとは一人の貿易商の邸宅だった建物が、学校の寄宿舎となり、さらに横浜の歴史を伝える場所として残されているわけです。開港以来、多くの外国人が暮らした横浜・山手という土地の歴史そのものを、この建物の変遷からも感じることができます。

三渓園からかなりの距離を歩いてきましたが、同じ横浜でも、日本の伝統建築を中心とする三渓園とはまったく異なる世界が広がっていました。スパニッシュスタイルの洋館に、中世スペインを思わせるアーチ、そしてオーストリアをテーマにした冬のクリスマス装飾と、一つの建物の中でさまざまな文化が重なっているのが印象に残りました。

建物内と敷地を一通り見学した後、再び山手の街を歩き、次の目的地である山手資料館へ向かいました。

旅程

根岸駅

↓(バス)

三渓園

↓(徒歩)

横浜市八聖殿郷土資料館

↓(徒歩)

(略)

↓(徒歩)

本牧神社

↓(徒歩)

ベーリック・ホール

↓(徒歩)

横浜山手聖公会

↓(徒歩)

山手資料館

↓(徒歩)

岩崎博物館(ゲーテ座記念)

↓(徒歩)

横浜市イギリス館

↓(徒歩)

大佛次郎記念館

↓(徒歩)

山手111番館

↓(徒歩)

港の見える丘公園

↓(徒歩)

山下公園

↓(徒歩)

日本郵船氷川丸

↓(徒歩)

日本大通り駅

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