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FUJIなごや科学館:LとDを探していたら、RとSにも出会いました

愛知県名古屋市のFUJIなごや科学館を訪れました。

この日は、名古屋市博物館の特別展「リトアニア ―バルトの森に響く歌―」を目的に、朝から名古屋に来ていました。杉原千畝広場センポ・スギハラ・メモリアル、名古屋市博物館、名古屋市美術館と巡り、その後に向かったのがこちらです。

時刻はまだ14時ごろでしたが、朝から充実した展示を見続けてきたため、すでに頭も体もかなり疲れていました。そこで、今回は見るポイントを少し絞ることにしました。気になっていたのは、今年、ノーベル化学賞の受賞が決まった硤合憲三さんの研究につながる、「分子の右手と左手」です。事前に見所を調べていた中でも、特に自分の目で確かめてみたいと思っていたテーマでした。

もちろん、ほかの展示にも立ち寄ります。分子の左右を探しながら、気になったものを楽しむつもりで館内へ入りました。

巨大な球体とロケットに迎えられて

建物を見て、まず目に入るのが中央の巨大な球体です。両側の建物に挟まれた姿は、どこかフジテレビの上部を思い出させます。

この科学館は1962年に開館し、2011年には新館が公開されました。あの球体の中には、内径35メートルのプラネタリウムがあります。外観だけを見ると未来的な建物ですが、科学を身近に伝える場所として、60年以上の歴史を重ねてきた施設でもあります。

屋外には、H-IIBロケットも展示されていました。大きいことは間違いないのですが、「ロケット」と聞いて想像していたものと比べると、意外に小さいとも感じます。想像していた大きさと目の前の展示を比べて、自分の中のロケットの印象が少し変わりました。

展示されている機体の大部分は、実際のロケットと同じ構造を持つ試験機で、一部は実機を参考に製作したものだそうです。名古屋周辺にはロケット製造に関わる企業が多く、この展示には地域のものづくりとのつながりもあります。

最先端科学のそばにある、世界の見方の歴史

中に入って、まずは上の6階へ向かいました。理工館6階のテーマは「最先端科学とのであい」です。宇宙や地下の世界など、普段の生活では直接見ることのできない領域に関する展示が並んでいました。

館内では、宇宙や地球を人々がどのように理解してきたかという、歴史に関わる展示にも目が留まりました。アタナシウス・キルヒャーの『地下世界』に関わる図も、そのひとつです。

『地下世界』は17世紀に刊行された書物です。科学館の解説によると、江戸時代の日本にも伝わり、その挿絵を精密に模写したと考えられる天象図が残されているそうです。遠いヨーロッパで描かれた世界の姿を、日本の人々が目にして、描き写していたということになります。

最先端の科学を紹介する場所で、昔の人が世界をどう捉えようとしていたのかにも触れられるのは面白いところです。午前中から歴史や文化、美術を見てきましたが、科学館でもまた、人間が世界を理解しようとしてきた歴史につながりました。

メントールの香りで実感する、分子の左右

5階のテーマは「物質・エネルギーのせかい」です。セラミックス、金属、有機材料と展示を見ているうちに、「探しているL型・D型の話は、このあたりにありそうだな」と思いました。

ところが、目的を持って探すと、案外すぐには見つかりません。思っていたよりも時間をかけて、ようやくたどり着いたのが、l-メントールとd-メントールの分子構造を示した展示でした。それぞれの香りを嗅いで、比べることもできます。この展示には高砂香料が協力しており、分子模型と香りの試料を通して、鏡像異性体の違いを体験できるようになっています。

どちらもメントールですが、嗅いでみると、確かに少し違います。「左右が違う」と聞いても、最初は同じ分子を反対向きに置いただけのように考えていました。それが、自分の鼻で分かるほどの違いになるとは、少し意外でした。

右手と左手は、形がよく似ていても、向きを変えるだけではぴったり重なりません。分子にも、自分の鏡像とぴったり重ならないものがあります。この性質を「キラリティー」といい、互いに鏡写しになった分子の組は「鏡像異性体」と呼ばれます。同じ種類の原子が同じ順序でつながっていても、立体的な配置が違うことで、香りや体への作用に違いが生じることがあるのです。

硤合さんの研究では、ある反応でできた分子が、同じ形の分子を生み出す反応を助けることで、最初はごく小さかった左右の偏りが大きくなる仕組みが示されました。生命を構成する分子に、なぜ特定の「左右」への偏りがあるのかという謎を考える手がかりにもなる研究です。

研究の内容を理解するには、もう少し勉強が必要そうです。それでも、ニュースで聞いた「分子の左右」という言葉が、自分の感覚と結びついたことには手応えがありました。

竜巻に見とれ、放電ラボを見逃す

4階は「科学原理とのふれあい」がテーマです。この階に降りたとき、ちょうど竜巻ラボで竜巻が発生し始めました。

下から伸びていく渦はかなりの高さがあり、僕も思わず立ち止まって見入ってしまいました。周りにも、足を止めて眺めている人が大勢います。竜巻ラボでは高さ9メートルもの空気の渦を観察でき、3階から立ち上がる姿を4階からも見ることができます。

ところが、この記事を書いている今になって、ひとつ大事なことを思い出しました。以前テレビで、この科学館の放電ラボにあるテスラコイルを見て、「ここに行ってみたい」と思っていたのです。

放電ラボでは、2基のテスラコイルから大きな電気火花が放たれる実演が行われています。

あれを見たかったはずなのに、現地ではすっかり忘れ、どうやら横を通り過ぎてしまったようです。竜巻に見とれていたからなのか、朝からの疲れで頭が回っていなかったのか。来たかった理由のひとつを、帰ってから思い出すという結果になってしまいました。

次に訪れるときには、実演の時間や観覧方法を確かめて、放電ラボも見たいと思います。

さらに3階へ降りると、先ほどの竜巻がここから発生していることが分かります。「技術のひろがり」をテーマにした展示では、パソコンや家電の中身なども見ました。普段使っている機械でも、外側を外してみると、見慣れたものが別の表情を見せるようです。

2階では、虹色のアンモナイトや恐竜の全身骨格も見ました。ほかにも、コロナウイルス、宇宙望遠鏡、細胞、音のフレネルレンズ、フーコーの振り子など、館内ではさまざまな展示に立ち寄りました。ひとつのテーマを追いかけながら歩いていても、次々と別のものが目に入ってきます。

ノーベル賞の年表と、もうひとつの「左右」の展示

最後に、地下2階の「あいち・なごやノーベル賞受賞者記念室」へ向かいました。

ここは2021年に開設された、愛知・名古屋にゆかりのあるノーベル賞受賞者の研究や歩みを紹介する場所です。

年表の下には日本人受賞者の印があり、2000年以降の多さが目を引きました。この20数年は、後になって日本の科学の黄金期と呼ばれるのでしょうか。それとも、これからも受賞が続き、さらに印が増えていくのでしょうか。過去を振り返る展示を見ながら、その先の年表がどうなるのかも気になりました。

硤合さんの受賞を伝える号外はありましたが、独立した紹介コーナーは見当たりませんでした。地域ゆかりの受賞者を紹介する場所だということも、改めて意識しました。

受賞を伝える展示を見ていると、その準備をする方々のことも少し気になります。受賞者は発表されるまで分からないので、喜ばしいニュースを受けてから研究内容を確かめ、来館者に伝わる形にするのは大変だろうなと思いました。

ここにも、探していた分子の左右に関する展示がありました。紹介されていたのは、l-リモネンとd-リモネンです。リモネンは僕には初めて聞く名前でしたが、パネルでは、l-リモネンはテレビン油のような香り、d-リモネンはオレンジやレモンのような香りと説明されていました。5階で嗅いだメントールを思い出すと、分子の模型だけを見るよりも、少し身近な話に感じられます。

後で調べると、この記念室の「左と右の世界」は、2001年にノーベル化学賞を受賞した野依良治さんの研究紹介につながる展示でした。野依さんは、左右の分子を作り分ける「不斉合成」の研究で知られています。硤合さんのニュースをきっかけに探していたテーマが、以前の受賞研究にもつながっていたことになります。

L型・D型の先にあった、薬の歴史

リモネンの隣には、サリドマイドの展示がありました。これも、僕には初めて知る名前です。そこには「S-サリドマイド」「R-サリドマイド」と書かれていました。

「あれ、L型・D型だけではないのか」と、また分からないことが増えます。

後で確認すると、大文字のD・L、小文字のd・l、そしてR・Sは、それぞれ違う基準の表記でした。D・LとR・Sは、別々の決め方で分子の立体的な配置を表し、小文字のd・lは、光の振動の向きをどちらに回すかという性質に基づく記号です。単純に「LとlとSが同じ側」と覚えればよいわけではありませんでした。

サリドマイドは1950年代に睡眠薬などとして販売されましたが、妊娠中の服用が胎児の発育に重大な影響を及ぼし、大きな薬害となった薬です。展示では、分子の左右と薬害との関係も紹介されていました。ただし、サリドマイドは体内でR型とS型が互いに変わるため、「片方だけを使えば安全だった」と単純に言えるものではないそうです。

香りが少し違うという体験から始まった話が、人の体に深刻な影響を及ぼした薬の歴史にまでつながりました。分子模型では小さく見える違いが、私たちにとっても小さな違いで済むとは限りません。なぜ左右を見分け、作り分ける研究が大切なのか、その理由が少し具体的になった気がしました。

一日分の知識を抱えて、名古屋を後に

もともとは、時間があればヤマザキマザック美術館にも行くつもりでした。ただ、科学館を見終えたころには時間もぎりぎりになり、頭もかなり疲れていたので、この日は帰ることにしました。

振り返ると、杉原千畝さんから始まり、秀吉、リトアニア、ゴッホ、そして硤合さんの研究につながる分子の世界まで、一日でずいぶん幅広いものに触れました。それぞれ違う分野ですが、そのたびに知らなかったことが増え、気になることも増えていきます。

今回の科学館では、「分子の右手と左手」というひとつの関心が、館内を歩く手がかりになりました。香りを嗅いで少し実感できたこともあれば、R型・S型という新しい疑問も残りました。見逃した放電ラボもあります。

知りたかったことに近づきながら、次に知りたいことを持ち帰る。疲れはしましたが、名古屋まで来てよかったと思える、充実した一日でした。

旅程

東京

↓(新幹線 / 名古屋市営桜通線)

瑞穂区役所駅

↓(徒歩)

杉原千畝広場センポ・スギハラ・メモリアル

↓(徒歩)

名古屋市博物館:特別展「名古屋には秀吉がおるでよ! ―秀吉と尾張の歴史―」

↓(徒歩)

名古屋市博物館:特別展「リトアニア ―バルトの森に響く歌―」

↓(徒歩)

桜山駅

↓(名古屋市営桜通線)

久屋大通駅

↓(徒歩)

名古屋市美術館

↓(徒歩)

FUJIなごや科学館

↓(徒歩)

名古屋駅

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