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Sculpture "Kristaps the Great":ダウガヴァ川のほとりで出会ったリガの守護者

ラトビアの首都リガを観光しました。この日はリガ観光の1日目で、ブラックヘッドハウスやリガ大聖堂など旧市街の見どころを巡ったあと、ダウガヴァ川のほとりを歩きながら聖ヤコブ大聖堂へ向かいました。

川沿いを歩いている途中、白い柱と三角形の屋根を持つ、小さな神殿のようなガラス張りの建物を見つけました。その中に立っていたのが「Lielais Kristaps」、英語では「Big Christopher」や「Kristaps the Great」と呼ばれる像です。

像を見ると、大きな男性が裸の子どもを肩に乗せています。首には十字架のついた首飾りがあり、手には長い棒を持っています。最初に見たときは、この土地に伝わる伝説の人物なのだろうと思いましたが、実際、その印象はかなり近いものでした。

「Kristaps」はラトビア語で「クリストファー」にあたり、この像はキリスト教の聖人、聖クリストフォロスと結びついています。聖クリストフォロスには、川を渡る旅人を背負って運んでいた大男だったという有名な伝説があります。ある日、小さな子どもを肩に乗せて川を渡ろうとすると、進むにつれて子どもが非常に重くなりました。それでも何とか向こう岸まで運ぶと、その子どもは実は幼子キリストであり、世界そのものの重みを背負っていたのだと明かされたとされています。このため聖クリストフォロスは、旅人や交通に関わる人々を守る聖人として信仰されるようになりました。

リガでは、この聖人の物語がダウガヴァ川と結びつき、独自の「大クリスタプス」の伝説になっています。大クリスタプスはダウガヴァ川のほとりに住み、人々を背負って川を渡していた巨人だったといいます。ある夜、対岸から聞こえてきた子どもの泣き声に気づき、子どもを背負って川を渡りました。途中で子どもはどんどん重くなりましたが、どうにか自分の小屋まで連れて帰ります。翌朝、子どもの姿は消え、その代わりに大量の金が残されており、その金がリガの建設に使われたという伝説まで生まれました。つまり大クリスタプスは、聖クリストフォロスであると同時に、リガの成り立ちを語る伝説上の人物にもなっているのです。

リガにおける聖クリストフォロスへの崇敬は16世紀初頭には行われており、特に渡し守やいかだ乗り、荷役労働者など、川や荷物の運搬に関係する人々の守護者として親しまれていました。ダウガヴァ川が交易や交通の大動脈だったリガにとって、川を渡る人を守る巨人の聖人は、とても相性のよい存在だったのでしょう。

私が見た像は古いものに見えましたが、実は川岸にあるものは複製です。現在、リガ歴史航海博物館に保存されている木像は、高さ約2.36メートルで、彫刻家ミハエル・ブリンクマンが1682年に制作したものとされています。川岸の像は彫刻家ギルツ・ウピーティスが1997年に制作した複製で、19世紀に存在した像の小屋を模した木とガラスの建物に納められ、2001年から現在の場所で公開されています。したがって、2009年に私が見たときには、設置されてからまだ8年ほどしか経っていなかったことになります。

長い棒は、川を渡る際に使う杖と考えると納得できます。肩の子どもも単なる子どもではなく、幼子キリストを表していました。頭の部分は角のようにも見え、そのため一瞬、日本の鬼のような印象も受けましたが、実際には怪物を表した像ではありません。むしろ、大きな体で人々を川の向こうへ運び、旅人を守る存在として長くリガ市民に親しまれてきた人物です。

リガは1201年を都市の創建年とし、中世にはダウガヴァ川を利用した交易によって発展し、東バルト海地域を代表するハンザ都市となりました。そんな都市の歴史を考えると、川のほとりに「人を運ぶ巨人」の伝説が残ったことも偶然ではないように思えます。

何も知らずに歩いていると、ガラスケースに入った少し不思議な像ですが、由来を知ると、キリスト教の聖人伝とリガ独自の都市伝説、そしてダウガヴァ川によって発展した街の歴史が重なった、とてもリガらしい存在だったことが分かります。

思いがけず出会ったリガの守護者を眺めたあと、再び旧市街へ入り、次の目的地である聖ヤコブ大聖堂へ向かいました。

旅程

ホテル

↓(徒歩)

聖ローランドの像

↓(徒歩)

ブラックヘッドハウス

↓(徒歩)

(略)

↓(徒歩)

聖ペテロ教会

↓(徒歩)

聖ヨハネ教会

↓(徒歩)

リガ航海史博物館

↓(徒歩)

リガ大聖堂

↓(徒歩)

三人兄弟

↓(徒歩)

リガ城

↓(徒歩)

聖母受難教会

↓(徒歩)

Sculpture "Kristaps the Great"

↓(徒歩)

聖ヤコブ大聖堂

↓(徒歩)

スウェーデン門

↓(徒歩)

火薬塔

↓(徒歩)

猫の家

↓(徒歩)

Great Guild

↓(徒歩)

ホテル

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