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履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳):日本で三番目の巨大古墳、五世紀の王墓を訪ねて

大阪府堺市にある履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)に行きました。

この日は朝から、世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」を巡っていました。午前中は藤井寺市の古市古墳群を歩き、午後から堺市の百舌鳥古墳群へ移動しました。堺市博物館などを見学した後、履中天皇陵に向かいました。

履中天皇陵は、宮内庁によって第17代履中天皇の「百舌鳥耳原南陵」として管理されている前方後円墳です。履中天皇は、宮内庁の系譜では仁徳天皇の皇子にあたります。

考古学では「上石津ミサンザイ古墳」や「石津ヶ丘古墳」などとも呼ばれています。墳丘長は約365メートルあり、仁徳天皇陵古墳、応神天皇陵古墳に次いで、日本で3番目に大きな前方後円墳です。築造時期は5世紀前半と考えられています。

日本で3番目に大きな古墳と聞けば、かなり迫力がありそうですが、地上から古墳を巡っていると、その巨大さは意外と分かりません。

この日だけでも、午前中から誉田御廟山古墳をはじめとする古市古墳群を巡り、堺市に移動してからは仁徳天皇陵などを見ていました。そのため履中天皇陵に着いたころには、正直なところ「また大きな森がある」という感覚に近くなっていました。

濠の向こうには木々に覆われた墳丘があります。しかし地上から見ている限り、教科書や航空写真で見るような前方後円墳の形は分かりません。拝所まで行き、これまでに訪れた天皇陵と同じように参拝しました。

現在では木々に覆われていますが、築造された当時の姿はまったく違っていました。墳丘は三段に築かれ、葺石が施され、円筒埴輪や形象埴輪が並べられていました。また、もともとは二重の濠を持っていたことも確認されています。

さらに履中天皇陵の周囲には、かつて10基ほどの陪塚があったと考えられていますが、現在残っているのは寺山南山古墳など4基です。巨大な一つの墓だけが存在したのではなく、大王墓を中心として複数の古墳が配置された景観だったことになります。

興味深いのは、「履中天皇陵」という名称と考古学的な年代の関係です。

宮内庁はこの古墳を履中天皇陵として管理しています。一方、古墳の形や埴輪、周囲の陪塚から出土した資料などを研究すると、仁徳天皇陵とされる大仙古墳よりも先に築造されたと考えられています。

宮内庁の系譜では履中天皇は仁徳天皇の皇子ですから、単純に考えれば父である仁徳天皇の墓のほうが先に造られそうです。しかし考古学的な築造順序では逆になる可能性があります。

もちろん、古墳の築造時期だけで被葬者を断定することはできません。しかし、「○○天皇陵」という名称をそのまま古墳の被葬者として受け取るのではなく、宮内庁による陵墓の治定と、考古学による年代や出土資料の研究は分けて考える必要があります。古墳を巡る面白さの一つは、このように伝承や記録と考古学的研究が必ずしも一致しないところにもあります。

そして、この日もう一つ気になったのが「ミサンザイ」という不思議な名前でした。

午前中に藤井寺市を歩いていたとき、地図に仲哀天皇陵の別名として「岡ミサンザイ古墳」と書かれていました。そして堺市に来ると、今度は履中天皇陵が「上石津ミサンザイ古墳」と呼ばれています。

「ミサンザイとは何だろう」と少し疑問に思いました。

この「ミサンザイ」は、天皇などの墓を意味する「陵(みささぎ)」という言葉が変化したものと考えられています。「ミサンザイ」だけでなく、百舌鳥古墳群にある「ニサンザイ古墳」も同じ「みささぎ」に由来するといわれています。ただし、なぜ「ミサンザイ」と「ニサンザイ」という二つの形に分かれたのかは、はっきりしていないようです。

当日はそこまで調べることもなく、「変わった名前だな」と思った程度でした。しかし、古市古墳群の岡ミサンザイ古墳と、百舌鳥古墳群の上石津ミサンザイ古墳に同じ言葉が残っていることを知ると、何気なく地図で見た古墳名にも歴史が残っていることが分かります。

履中天皇陵は、2019年に世界文化遺産となった「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つです。 百舌鳥古墳群と古市古墳群には、5世紀を中心として巨大な前方後円墳が相次いで造られました。その背景には、各地の首長をまとめる大王権が成長していった時代があり、中国の歴史書『宋書』に登場する「倭の五王」との関係も考えられています。

そう考えると、目の前にある「森」は単なる土の山ではありません。大量の人員と資材を動員して築かれた巨大なモニュメントであり、5世紀の政治権力そのものを景観として表現したものでもあります。

もっとも、この日の私はそこまで深く考えていたわけではありません。

朝から巨大古墳をいくつも見ていたため、履中天皇陵でも「やはり地上から見ると森だな」と思いながら拝所で参拝し、次の目的地へ向かいました。


このあと堺東駅方面へ戻る途中、もう一つの巨大古墳である反正天皇陵へ向かいました。

一日に何基もの古墳を歩いて巡ると、最後にはどれも同じような森に見えてきます。しかし後になって築造年代や大王墓の移動、「ミサンザイ」という名前の意味などを知ると、一見よく似た森の一つ一つが、少しずつ違った歴史を持っていたことに気づきます。

古墳巡りは、現地で見ただけでは分からなかったことを、後から調べることで再び楽しめる旅なのかもしれません。

旅程

東京駅

↓(新幹線/地下鉄/近鉄)

土師ノ里駅

↓(徒歩)

(略)古市古墳群

↓(徒歩)

古市駅

↓(近鉄)

百舌鳥駅

↓(徒歩)

大仙陵古墳/仁徳天皇陵

↓(徒歩)

堺市博物館

↓(徒歩)

履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)

↓(徒歩)

反正天皇陵(田出井山古墳)

↓(徒歩)

堺東駅

↓(南海電鉄)

なんば駅

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道頓堀

↓(徒歩)

難波駅

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